月別アーカイブ: 2015年4月

石橋郁子著「京のわる口、ほめころし」を読んで|「ぶぶづけ」の意外な意味

2004年、淡交社発行。
サブタイトルは、「京の不思議と素敵な話」。

京都といえば「一見さんお断り」と「ぶぶづけ」しか知らなかったのですが、この本はまさにこの2つで始まります。このような目次を見せられては読まないわけにはいけません。

一見さんの件はともかく、「ぶぶづけ」の話は意外です。
一般的には「ぶぶづけでも」と言われたら「もう帰ってください」の意味だとされていますが、この本では訪問する側・される側の相互の「おもてなしの心」と紹介されています。

「ぶぶづけでも」と言われたら「もう食事の時間だから」と訪問者側が遠慮する。その一方で、訪問されている側は食事時になったなら「ぶぶづけ(=質素な食事)でも」と訪問者が気を使わないように勧め、実際には仕出しをお出しする。来訪者側も、ここまで勧められたら、気持ちよく応じる。この相互の応接が「ぶぶづけでも」の真相のようです。

間口が狭く奥行きの長い家での、暑い夏の涼の取り方。すばらしい工夫があります。家の前の坪庭にたっぷりと水を撒き、その一方で奥座敷に面した奥の庭には水を撒かない。2つの庭の一方だけ湿らすことで空気の流れをつくるのだそうです。

人間関係に関する記述も興味深い。借りをつくることで自らの立場が弱くなることを嫌う「位どり」、自らの立場や意見を言わずに「察してもらう」言葉遣いなど。「ごきんとはん」「いけず」などの言葉の説明とともに人間関係が紹介されています。歴史的に権力者が入れ替わり立ち替わりした京都の町では、自らの立場や意見を言わないことこそ生き延びる道であった、という記述には「なるほど」と思うばかりでした。

最後に「京都商法」。「京都商法」=「持続する商売」で、その胆は「信用」。テレビのニュースなどで「持続可能な×××」のような言葉を聞きますが、京都がルーツなのかもしれません。

ジョギング初心者が走行距離と時間をのばしたトレーニング方法|私の場合

【走り始めたころ】
三十代半ばの時、ジョギングを始めました。
それまで運動経験はゼロでした。
走り始めた最初の数回は、10分間かけてやっと1キロが走れるかどうかというところ。
その頃買った本には、「5キロ走れればフルマラソンは完走できる」(5キロのランニングを8回繰り返せばよい、というコンセプトの本だった。)とあり、また別の本には「とにかく30分続けて走れるようになりなさい。」と書かれていました。
とても無理だと思いました。

【その頃気を付けていたこと】
とにかくゆっくり走る。目安は1キロ10分。(早歩きのペースです。)
そのために気を付けたことは

  • ピッチ走法で走る
  • 歩幅はできる限り小さくする
  • 力まない
  • 遅くて恥ずかしいという気持ちを捨てる(これが一番難しかった)

【3キロまたは24分の壁が越えられない】
1キロ、2キロ、と距離を延ばして4~5か月後には1キロ8分のペースで3キロまで走れるようになりました。しかしここから伸びません。
その頃は週1回、多くても週に2回くらいしか走っていなかったので、練習量が少ないのだと考えました。
今までは、身体を壊さないように無理のない範囲で走っていました。が、3キロの壁を超えるために、「走ることにもっと身体を慣らそう」と思いました。

【何が何でも1日おきに走る】
7月のことでした。ルーズリーフに一か月分のカレンダーを手書きしました。
カレンダーにはボールペンで7月1日から1日おきに3.4Kmと書きこんでしまいました。(距離が半端なのはたまたま走りやすい道が3.4キロだったから)。
あとはこの予定通りに、とにかく走るだけです。

7月の1か月間に実際に私がとった行動です。

  • どんなに疲れていても、気が進まなくても、走るつもりがなくても、きちんとランニングウエアに着替えた(着替えたからには走ろうかという気になる)
  • 疲れていて走る気がなくても、取りあえず家から出て、ジョギングに使うコースまで歩いた(家にいるときは走りたくなくても外へ出ると走る気になることが多かった)
  • 雨が降っていてもランニングウエアに着替えて走った(夏だから濡れても平気)
  • 疲れていて3.4キロが走れなかったらもっと短い距離、それが駄目なら歩いた

【立ち止まらないで1時間走れた】
7月31日の夜、信号の少ない川沿いの道をゆっくり走り始めました。目標は、どんなに遅くてもいいから1時間立ち止まらずに走り続けること。
この日、7.8キロの道のりを一時間かけて走り切りました。

【その後】
その翌年、10キロのランニング大会に出場して完走しました。順位は後ろから数えた方が早かったですけど、楽しんできました。

※幣事務所のトレーニングに関するブログは全て女性所員が執筆しております。



田中優子著「江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?」を読んで|落語でわかる江戸のくらし

2010年、小学館発行。
サブタイトルは「落語でひもとくニッポンのしきたり」で、そのサブタイトルの通り「江戸のしきたり」が7つのテーマで紹介されています。メインタイトルの「宵越しの銭」は、7つのテーマのうちの一つです。

【江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?】
その答えは、持つ必要がなかったから。銭は循環するもので、使ってしまっても、また入ってくる社会だったから。むしろ、みんなが使うから循環が促進される、ということなのだろう。

【取り戻すべきライフスタイル】
「隠居」については新しい発見があった。
「隠居」といえば「家督相続」がらみのお話。家督相続などとう言葉からは家や世襲に縛られた不自由な時代を連想してしまうが、隠居というものは楽しいものだった。家督を次の世代に引き継いだら、もうひとつの人生を歩むことであったから。
生活費も相続させた財産から支給されたというから、お金の心配もない。

【遊びが文化を培った】
「下らない」の語源が解説されていて面白い。
説明すると長くなるし、うまく説明する自信もないので気になる方は本書に当たってみてください。
勝手な理屈を言わせてもらうと、『「上らない」と言うべきではないのか』などと思うのですが…。

時代劇で聞く言葉や地名などが満載で、「へぇ~、そうなのか」と思う場面も度々。
たとえば、恥ずかしながら私は次の言葉を勘違いしていました。正しい意味はこの様なものでした。
与太郎・・・ぼんやりとしているが、素直で善良な人物。
粗忽者・・・せっかちで早合点な人物で、粗忽であることを少しも気にかけない明るさがある。

最後に、本書を読んだのは「江戸のしきたり」に触れたかったからでしたが、それとは別に「落語というものは凄いものらしい」という感想のオマケが付きました。

千葉県柏市の土の城|増尾城址総合公園

西股総生氏の著書「土の城指南」の中で、「遺構の残りがよく、歩きやすい状態が保たれている」「駅近優良物件」と紹介されていた増尾城に行ってきました。

【遺構の様子】
副郭の周りにめぐらされた土塁
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東西約130メートル、南北約45~100メートル、土塁の高さ2.5~3メートル、高さ約20メートル。小規模な舌状の台地を利用して作られた連郭式の城郭です。

現地の見取図によれば

  • 虎口が二か所
  • それぞれの郭は空堀で囲まれている
  • 主郭、副郭それぞれに腰曲郭が張り出している
  • 西南の隅に大規模な張り出し櫓がある
  • 西南方向に堀切がある

土の城初心者の私には残念ながら、腰曲輪、二か所ある虎口のうち一か所、堀切が見分けられませんでした。
それでも、戦国の城の雰囲気を十分に味わうことができました。

【バーベキューのできる広場がある】
城跡のある区画を出て、林の斜面沿いの道を歩いていくと、芝生や子供向け遊具のある広場に出ます。
木々に囲まれた城跡とは対照的な明るい空間です。
バーベキューサイトもあり、大勢の家族連れで賑わっていました。
利用には申し込みが必要だそうです。(「公園の管理事務所にお問い合わせください」とのこと)。

【道順】
私は東武野田線(昨年から「アーバンパークライン」という名になった)増尾駅から徒歩で行きました。約20分かかります。
道順を記しておくのでよかったら参考にしてください。

  1. 東口に出る。出たら右手へ向かう。
  2. 「森の生鮮市場」というスーパーがあり、スーパーに向かって左隣に駐車場があるので、そこを右折する。
  3. バス通りに出るので、出たら左折して直進。信号機の数を数え始めること。
  4. 五つ目の信号を右折。細い道を通り抜けて二車線の道路に出る。出たら左折。最初の交差点の近くに公園の入り口と駐車場がある。

道路に面した入り口から、階段を昇り、「城跡→」という案内板に従って進むと、目の前にぐるりを土塁で囲まれた副郭が現れます。
感動の瞬間です。

増尾城遠景
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写真中央の林の部分が城跡です

四街道地名発祥の地(千葉県・四街道市)|読売巨人軍発祥の地(千葉県・習志野市)

出かけたついでに、足をのばして見てきました。
まずは、「四街道地名発祥の地」の石塔です。

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南 千葉町道 明治14年12月吉日(1881年)
と記されています。
石塔は4面あって、それぞれ

北 成田山道 畦田村 願主 林佐野右ェ門
東 登宇がね 道
  馬渡
西 東京 道 當村世話人
  船橋  佐久間澤右ェ門・佐久間源治郎

と記されています。
この様に、四つの道が交わることから「四街道」という地名が生まれた場所だそうです。

四街道市のホームページによれば

1880年(明治13年)現在の四街道十字路に私設郵便局ができる 四街道の地名の誕生
1894年(明治27年)私鉄総武鉄道 市川~佐倉間開通(千葉県初の鉄道・明治40年国鉄に)四街道駅ができる
1936年(昭和11年)四街道が正式な地名に(千代田村字四街道)

石塔は四街道という地名ができた翌年に建てられたのですね。

少し離れた場所から写真を撮ってみました。

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正面のガソリンスタンドの手前に石塔が建っています。(高さが1メートルくらいなので
写真では見えませんね)。
JR総武本線・四街道駅の北口を出て、線路に沿った道(けやき通り)を西に500メートル進んだ最初の交差点に建っています。

次は「読売巨人軍発祥の地」記念碑です。

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千葉県習志野市谷津3丁目。谷津公園内にあります。
なぜ巨人軍の発祥が東京ではなく千葉なのか。
碑文等によるとこういうことです。

昭和9年4月、正力松太郎氏が野球の全アメリカ選抜チームを招聘。(ベーブルースやルー・ゲーリックなどがいた!)。
日本側は六大学野球の選手を中心として、全日本チームを結成。全国で二か月間にわたって試合が行われた。
この時両チームが練習場として使ったのが、谷津遊園(昭和57年閉園。現在は谷津公園)の中にあった谷津球場。
同年12月、この時の全日本チームを中心にして東京巨人軍(のちの読売巨人軍)が結成された。
これをきっかけにプロ野球チームが続々誕生した。

なるほど。
ところで、「谷津遊園に野球場があった記憶がない!」という方。(私もその一人です)。野球場は京葉道路の建設時、バラ園の移設に伴って閉鎖されたそうです。1964年頃のことと思われます。

谷津公園へは京成線・谷津駅から徒歩5分です。