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東京ドイツ村チャイナランタンフェスティバル2018に行ってきました

イルミネーションを見にドイツ村に誘われたらチャイナランタンも見ることになった

ドイツ村の入り口で駐車場代2500円を支払えば、日本3大イルミネーションとして有名なイルミネーションが見られるのですが、チャイナランタンフェスティバルを見るためにはさらに一人2000円の入場料が必要です。

「たかがランタンを見るのにそんなお金を払うなんて…」、と心の中ではかなり躊躇しましたが、家族は行く気満々なので仕方なく入場しました。

園内はまだ日が沈み切ってなく、かつてはゴルフ場だっという起伏のある芝生地の池を囲んで、ねぶた祭の提灯の中国バージョンのようなものが造られているだけ。

「失敗だったかな?」とこれも心の中でつぶやきながら写真を撮っているうちに、徐々に夕闇が迫り、「月がいい位置にあるなあ」と月を入れた写真など撮影していました。

暗くなるにしたがって、ショボかったランタンが生き生きと輝きだしました

池の面にランタンが映ってそれは綺麗

入り口から池を隔てた正面に万里の長城を模したランタンがあって、そこが会場の端だと思っていたら、その裏側にもまだランタンが飾られていました。

会場の一方の端は小高い丘になっているのですがそこにも歩道が作られていて、全景が見渡せるようになっていました。
手前に木が生えているので暗く映ってしまいます。
こういう写真で遠景を撮るのは難しい。

池に映るランタンが、どの場所から見ても絵になって、歩いては立ち止まって写真を撮り、また歩いては…の繰り返しで気が付けば1時間半も経っていました。

会場内では一日に2回、中国雑技団の公演もあります。5時半からの公演が始まったのは分かったのですが、会場の端の方に居たので間に合わずに、後半の方を少し見られただけでした。でも面白かった。
会場は入り口から見渡した感じよりも実際にはかなり広いんです。

一番煌びやかだと思ったランタン

夕方の写真も結構いいかも

この後、イルミネーションを見たのですが、なんかやたらと平面的だなあと感じました。先に綺麗なものを見たせいで感激も少なく・・・。

これから行ってみる人へ

再入場についての注意

チャイナランタンフェスティバルの会場はゲートをくぐって入ります。この時係員に入場券を渡してしまいます。しかし会場から出るときに手の甲に再入場のためのスタンプを押してもらえば、また入場できます。

が、入場の際にその説明はなく、その旨を書いた看板等もありませんでした。(私たちは一度出たら入れないものと思って行動していました。)
外に出る時にたまたまスタンプの存在に気が付いて(スタンプが紐でぶら下げらていた)係の人を呼んで押してもらいました。

会場にはほか出口専用のゲートが2か所ありましたが、再入場用のスタンプは用意されていないようでした。

私たちが行ったのは12月18日でしたが、この後改善されていればと思います。

入場料金について

私たちは駐車場代2500円の他に一人2000円の入場料を払いましたが、来年1月3日からは、駐車場代金2500円を払えばチャイナランタンフェスティバルの会場にも入れるそうです。

おせっかいなひとこと

ランタンフェスティバルは4月まで開催されていますが、「あまり月日が経つと汚れが目立つかもしれない、早めに見ておいてよかった」と、これは家族の発言。

チャイナランタンフェスティバルとは

何の知識もなく、イルミネーションのおまけ程度に考えていたチャイナランタンフェスティバルに感激したので、帰宅後に改めて調べてみたら。

「チャイナランタンフェスティバル」とは、中国の唐の時代より続く伝統行事で、年に一度、春節の期間に開催される、にぎやかに春の夜を彩るお祭りである。

世界最大のランタンメーカー「自貢灯彩集団」による「チャイナランタンフェスティバル」は、イギリス、フランス、ドイツをはじめとする世界15か国、30都市で開催され、また、中国国内でも300都市で開催されるなど、各地で人気を博してきた。その伝統ある、「チャイナランタンフェスティバル」が、遂に日本で初開催される。

今回のチャイナランタン制作には、約5か月間を要し、延べ20,000人の職人によって全て手作りで作られ、2018年10月19日(金) 〜 12月6日(木)までの期間は、四川省自貢市からおよそ60人の職人が来日し、東京ドイツ村で設置作業が行われる。

出典 https://haveagood.holiday

なるほど。納得。

春節とは

春節から15日目の「元宵節」は上元節・灯籠節とも呼ばれ、旧暦新年最初の満月の日にあたります。
この日は街中に提灯や灯籠を灯して、元宵団子と呼ばれる餡入りの団子を食べるのが昔ながらの風習となっています。

各地では元宵節を祝う提灯祭りや獅子舞などのイベントも行われ、15日間にわたる春節期間の行事はこの日をもって終了します。

出典 https://tenki.jp/

ところでチャイナランタンは中国提灯ともいうそうです。
昔、春節の時期にマレーシアの中華街に行ったことがありますが、街中いたるところに赤い提灯がつるされていました。これはその発展形?
赤い提灯はドイツ村の会場にもありました。ちょっと懐かしかったです。

日本民家園に行ってきた|生田緑地内の民家の野外博物館

多摩丘陵の一角、生田緑地のなかにある日本民家園という、古民家を集めた野外博物館に行ってきた。
生田緑地を散策するついでにちょっと寄ってみるつもりが、面白くて2時間以上滞在していた。

これほどのものがたったの500円で見られるとは正直驚いた。
開園から50年以上経つのにどの民家も保存状態がよいし、敷地全体もきれいに手入れされていた。

敷地は丘陵の地形を利用して、林の中に民家が見え隠れするような風景になっている。想像していたよりもずっと広かった。
ここに主に東日本を中心に各地から移築された古民家が二十数件あり、古いものだと江戸時代に建てられたものもある。
解説版も充実している。

名主クラスの人が住んでいた建物が多いため、大きな建物が多かった。

重厚感のあるかやぶき屋根。厚さは70~1メートルくらいありそう。


ふき替えにかかる費用は2千万から3千万円くらいだとか。

板葺きの屋根もある。

合掌造りの民家の大きさに圧倒された。
一口に合掌造りといっても地域により少しずつ違いがあった。

見事なカーブを見せる梁。チョウナ梁というそうだ。

古民家は、地域の気候風土に合わせて建てられていたので、造りや材質も少しづつ違う。

山梨の寒風が吹きすさぶ地域の民家。寒さを防ぐために窓らしい窓がなく、中は非常に暗かった。しかし、中で火を焚くと他の民家よりも暖かいのだそうだ。

出入口以外はこんな窓が数か所あるだけ。

千葉県九十九里の民家は開口部が広かった。

かぶと屋根の民家。豪雪地帯に建てられた民家で、冬は1階部分が雪に埋もれてしまうので2階から出入りしたそうだ。
屋根の出っ張ったところは障子戸がついて出入りできる。

壁材も地域により違いがあって、雪の積もる地方は土壁だと溶けてしまうので板張りにすることが多いそうだ。

土台は石に柱が載っているだけ。でもこの前の震災ではほとんど被害はなかったそうだ。

【「炉端の会」と床上活動】
民家の中の数棟で、囲炉裏に実際に火をおこしている棟があって、そこは見学者も中に上がって自由に見ることができる。

火を起こしているのは「炉端の会」というボランティア団体のスタッフの方で、民家の解説もしてくれる。皆さんとても気さくでいい方だった。
私が一人でいたら、「お一人で来るっていうことは、とても民家がお好きなのね。」と話しかけられ、「せっかくだから上がっていきなさい。」と再三進められたのだが、紐の調整がすごく面倒くさい運動靴を履いていたのできちんと説明してお断りしたら、「次はぜひ、脱ぎやすい靴でいらして」と、シュロの葉で作ったバッタをもらった。
時々バッタ作り方の教室もやっているそうだ。

中で食事をしてもいい棟もあって、囲炉裏の脇でコンビニ弁当らしきものを召し上がっている方もいた。
この、囲炉裏に火をおこしながら見学者に解説をするのは「床上公開」といって、真夏の暑い時期以外は毎日数棟で行われているそうだ。煙で害虫を防除して建物を守る効果があるとか。

床上公開していない棟でも、土間の部分は入ることができる。

【親切なガイドさんに会った】
「炉端の会」のスタッフで園内でフリーガイドをしている方々もいて、ガイド予約なしで来園している団体や個人で来園した方の希望に応じて園内を案内しているそう。

私は一人で見てまわっていたのだが、ガイドの竹内さんという方と2度3度と顔を合わせていたら、「この先案内しましょう」という流れになって、1時間くらい1対1でガイドしてもらった。

案内版には書いていないことや、当時の人々の生活などの面白いお話をたくさんうかがうことができた。どうもありがとうございました。

【室内展示もある】
農具などのほか、古民家の建てかたの解説図、屋根の種類の解説など。
とても地味な「古民家と里蜂」についてのパネルが良かった。蜂は益虫としての面も持ち、里山では人と蜂が共存してきたという。

【古民家園への行き方】
最寄り駅は小田急「向ヶ丘遊園駅」(新宿から急行で約20分)
駅の南口から徒歩約15分で生田緑地の東口に着く。東口を入って5分くらいで右手に民家園入り口になる。
東口に案内板がある。

入場料は大人で500円。年間パスポートが1000円で買える。

季節ごとにいろいろな行事が催されるということなので年、間パスポートがあるのも納得。個人的に行ってみたいのは、11月の日が暮れてからライトアップされた民家で昔話を聞く催し。

季節ごとに通ったり、雪の日の朝から写真を撮りに来たりするファンもいるそうだ。

【このほかに行った場所】
ホタルの里。いわゆる谷津という地形になっている湿地帯。ホタルの時期は終わっていたが、途中の林でクロツグミのさえずりがきれいだった。

長者穴古墳群。
発掘調査では山の斜面に30もの横穴が発見されたというが、歩道からは数個しか見えなかった。
人骨や副葬品も見つかったそうだ。
地味すぎて写真はなし。

【時間切れで行けなかった】

水生植物観察池と岡本太郎ミュージアムは行きたかったなあ。

足尾銅山・廃墟・社宅跡に行ってきた|廃墟マニアには有名な場所?

市川から日帰りで足尾(栃木県日光市)に行ってきた。

あの、足尾銅山の観光用に整備されている坑道と、廃墟群を見てきた。

鉱山というと坑道で鉱石を採掘する光景ばかり思い浮かぶが、鉱石を精錬するための設備も必要だし、そこで働く人々や家族のための社宅なども必要で、銅山が閉山したのちこれらが廃墟となって足尾の町のあちらこちらに点在しているのである。

などということは、実は足尾に着いてから初めて知ったことで、よくわからないまま廃墟好きな人に誘われて行ってびっくりな場所だった。

まずは「足尾銅山観光」という昭和の香りたっぷりな施設に行った。

チケット販売所で入場券を買い、トロッコで坑道に入るが、トロッコからはすぐに下りて自分で歩いて見学する。
坑道には江戸時代から昭和までの採鉱の様子が人形で再現されている。なんとなく知っている光景である。

しかし、やはり行ってみなければわからないなと感じたのが、水。
地下水がそれはもう大量にしたたり落ちてくる。私のスマホは防水ではないので怖くて使えない。仕方なく10年前に買った防水のデジカメで写真を撮ったが、このカメラ、薄暗い場所は苦手のようでろくな写真が撮れなかった。
江戸時代はこの大量の地下水を人の手で外に汲みだしたという。

湿気で体を壊す人もいたのじゃないかと思った。

坑道から出ると資料館とお土産物屋さんとレストランがあった。
資料館は古びてはいるが説明がきちんと書かれていて好印象。
お土産物屋さんとレストランは、ザ・昭和な雰囲気がマニアに喜ばれそう。
この施設は昭和55年開業だそうだけど、そのころの観光地の雰囲気そのままだった。
変にリニューアルしたりしないで頑張って欲しい。

次は廃墟巡り。

足尾銅山観光の敷地の隣に、かつて発電所と変電所だった建物があって、これは後でわかったのだが有名な廃墟だった。昔書かれたブログなどを見ると、廃墟の中に入れた時代もあったようだが、今は外から見るだけ。

今の時期、新緑が目にまぶしく、役目を終えた建築物と木々の若芽の対比が美しかった。

社宅跡にも行ってみた。

社宅跡は足尾に何か所もあって、土台の石垣しか残っていないものもあるし、きちんと手入れがされて今も人が住んでいるものもある。
現代の社宅と違って平屋の長屋風の建物である。
風と書いたのはなんとなくそんな感じがしたからで、一棟に一家族なのかもっとたくさん住んでいたのかは見ただけではわからなかったから。
建物の壁は北国でよくみられる木を横に打ち付けた壁(なんていう名前なんだろう)で、屋根はトタン。
トイレは共同で、建物と建物の間の空き地にトイレだけの建物が建っていた。今でも使われているらしくきれいに手入れされていた。しかし、後からトイレを付け足したらしい社宅もある。(建て増ししたような部分にベンチレーションが立っているのでわかる。)

防火水槽という標識が立っていた、巨大水槽

いい感じに古びている

数件おきにレンガ製の防火壁が建てられていた。他の地区の社宅にもあった。社宅が消滅して防火壁だけが残っている地区もあった。

今回じっくり見てまわった社宅は中才社宅跡というが、今も人が住んでいるものだった。
板張りの平屋の屋外にコンクリの流し台があったり、郵便受けが木製だったり、やはり木製の牛乳箱があり、窓の格子も木製で、戦前の建物ってこうだったような気がする。私は戦後生まれだけど、子どもの頃まだこんな家があった気がする。

すごくレトロな佇まいに心を打たれたが、他人の家なので写真は載せないでおく。
住人がいたら一言おことわりしてから撮りたかったのだが、人が住んでいるのは確かなのに人の気配がしなかった。
昭和初期にタイムスリップしたかのような異空間だった。

ところで、足尾銅山観光の隣に日光市観光協会足尾案内所があって、そこに置いてあった地図「足尾まち歩き」が大変わかりやすかった。というか、この地図がなかったら見逃してしまう廃墟(地図では廃墟なんて言わずに○○跡と表示している)がたくさんあったはず。

地図によれば、足尾の観光名所は「小滝抗エリア」「本山抗エリア」「松木エリア」「東部エリア」に分かれている。

発電所跡と社宅を歩いて見た後は、最も○○跡が多い「小滝抗エリア」を車で移動しながら見学した。

庚申川に沿った長さ6.5キロの道で反対側は山の斜面が続いていて平たい場所はあまりない。
この地区にかつては精錬所、商店、飲み屋、回り舞台付きの劇場、、小学校などがあって、一万人以上の人が暮らす一つの町がつくられていたというが、残っているものはごく僅かだった。

小滝選鉱所跡と精錬所跡は山の斜面に石垣、レンガ、コンクリートの壁が残っているが、森に帰りつつある。

石垣の部分だけ見ると戦国の城のようだった。写真はコンクリとレンガが多く残っている場所。

エリアにお奥のほうにも社宅跡があるが、すでに上屋はなく土台に石垣が残るだけだった。

わずかに残っている土台も、林の中に埋もれつつある。山を開いてつくった町が、山に帰っていく。

現地の案内板の写真

今はこのような、カラマツ林。

土台ばかりではなく、坑口や共同浴場跡など他にもたくさんの「○○跡」があった。

写真は小滝抗口

市川の自宅を朝の6時に出てここまで見てきて午後3時を過ぎた。

この後私たちは「本山抗エリア」の廃墟たちを駆け足で車の中から見て、帰途に着いた。
「本山精錬所跡」や「精錬所大煙突」など、「小滝抗エリア」とはまた違った感じの建物を見ることができた。

夏は木が邪魔をして廃墟見物には不向きなので、次の秋にこのエリアを含む残りの場所をじっくり訪ねることにしている。