タグ別アーカイブ: 船橋市

葛飾湧水群|千葉県船橋市の湧水

千葉県船橋市の西船を中心とした地区には、小さな池がいくつか見られます。これらは葛飾湧水群といわれています。

葛飾神社の池(西船5丁目)
住宅地の中のささやかな池。
国道14号の競馬場入り口のバス停があるあたりから細い道を南に下ったところにあります。

二子裏の池(東中山1丁目)
国道14号沿いの東中山児童公園から少し西へ行ったところにある池。

二子藤の池(東中山1丁目)

多聞寺の国道14号をはさんだ向い側にある池。

以上は国道14号沿いにある湧水池です。

このほか国道14号の北側にゲエロの池(印内1丁目)、葛羅の井(西船6丁目)があります。

船橋市は、環境にやさしいまちづくりのモデル事業として、これらの池の整備に取り組んでおり、保存会や町内会、神社などが維持管理にあたっています。

都市化によって姿を消した湧水池もあったようで、西船5丁目にある勝間田公園はもとは勝間田の池といい、葛飾川の谷の出口にあった湧水池だったそうです。
ちなみにこの葛飾川は現在では暗渠化しています。

【このあたりに湧水が多い理由です】

湧水とは地下から湧き出した水のことですが、どこからでも湧き出すわけではありません。
湧水はほとんどの場合、台地の周縁に沿って湧き出します。

湧水があるためには、以下の条件が必要だからです。

・雨水が台地の地面にしみ込むこと。
・しみ込んだ雨水が地下水として地中に貯えられること。
・地下水が地表に現れるための出口があること。

船橋は市の北部に台地が広がっていて、ちょうど西船の辺りが台地の辺縁にあたるようです。

と、ここまで読んできて、台地の都市化が進んだ今でも、きちんと水が湧いているのか疑問に思いませんでしたか?私は疑問でした。

地元の史跡に詳しい人の話では、「少しかもしれないが水は湧いているのだろうと思う。例えば(葛飾湧水群の一つ)ゲエロの池はとても小さいのに日照りが続いても水が枯れないから。」ということでした。

参考:宮原武夫 船橋の歴史散歩
   船橋市観光協会
   市立市川自然博物館 市川自然博物館だより 12・1月号  1998年1月10日発行

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京成線の「京成西船駅」が「葛飾駅」だったこと|船橋市西船

現在の京成線西船駅は、昭和62年までは「葛飾」(かつしか)」という駅名でした。大正5年に駅が開設された当時のこの辺りの地名が「葛飾村」だったからです。

【葛飾って東京都の地名ではないのか?】

たしかに寅さんで有名な柴又は葛飾区ですが・・・。
葛飾は万葉集にもみられる古い地名で、現在の東京都、千葉県、埼玉県、茨城県にまたがる地域だったそうです。

それが17世紀頃に、下総国葛飾郡(主に千葉県の辺り)と武蔵国葛飾郡(主に東京、埼玉)に別れ、さらに明治11年に、東葛飾郡、北葛飾郡など幾つかに分かれたそうです。

国道14号沿いの葛飾神社。

葛飾郡の総社として一千年の歴史があるそうです。

【西船駅周辺の地名の大まかな変遷です】

●明治11年、郡区町村編制法施行により、東葛飾郡を設置。
現在の市川市、松戸市、野田市、流山市、浦安市の全域と船橋市、柏市の一部や鎌ヶ谷市、埼玉、茨城の一部までを含んだ部分が東葛飾郡という行政区画になった。

●明治22年、町村制施行。
西海神、山野、印内、古作、寺内、本郷、二子、小栗原の八村が合併して「葛飾村」になる。

●昭和6年「葛飾村」が「葛飾町」になる。

●昭和12年、葛飾町、船橋町、八栄村、法典村、塚田村が合併して「船橋市」になる。

●昭和41~42年、「西船」誕生。
住居表示の変更があり、西船1丁目から西船7丁目が誕生しました。
京成西船駅(旧葛飾駅)の住所は葛飾町2丁目でしたが、昭和42年6月の町名変更で、西船4丁目になりました。

それから20年後の昭和62年。
西船という地名が浸透してきたため、「葛飾駅」も「京成西船駅」と改称されたそうです。

【東葛飾のその後】

平成17年3月28日、東葛飾郡沼南町が柏市に編入されたため、東葛飾郡は消滅しました。

JR総武線西船橋駅の南側には今でも「葛飾町」という町名が残っています。

東葛飾郡(だった場所)の南部は現在でも葛南と呼ばれることがあります。
松戸市の辺りは東葛と呼ばれることがあります。

(ブログを書くにあたって、西船駅上りホームの案内板「葛飾の地名とその由来」及び船橋のホームページを参考にさせていただきました。)

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小栗原城址|千葉県船橋市本中山の土の城

土の城に関する記事もいつの間にか7本目です。今度の城跡も恐ろしく地味です。

さて、京成線で成田方面に向かうとき、中山駅と東中山駅の中間の進行方向右側に、樹木が生い茂った小高い場所があって通るたびに気なっていました。なんか城址みたいだと思って。

昨年「東葛の中世城郭」という本を購入してみたら、例の気になる場所が「小栗城址」として紹介されていました。

【旧小栗原村(古くは小栗郷)の低地帯に向かって突出していた標高二十メートル前後の舌状台地先端部にあった城跡で、「城の台城」とも呼ばれている。-中略―台地南下には「城之下」という地名が残る。】(「東葛の中世城郭」P44より)

写真は台地の東側の切通しです。写真の右側が台地で、上には稲荷神社が建っています。
京成線の車窓からだと全景が見えるのですが、現地だと引きが取れなくて一部分しか写せません。

ここから南東約200メートルの場所に多聞寺というお寺があり、墓地の部分がかなりの高台になっています。

写真は多聞寺の西側から眺めです。木の茂っている場所が墓地です。

もともとは稲荷神社の高台と多聞寺の高台はつながっていて一つの城域だったそうです。
それが明治時代に旧総武鉄道や京成線の工事の際に削られてしまい、現在の形になったそうです。もともとの城域は東西約200メートル、南北約150メートルほどと推定されるそうです。

さらに前掲書によれば、多聞寺背後の台地(墓地になっている場所)の東方、東中山1丁目13番地の台地辺縁に小社や石祠が祀られている樹林の茂った一角があり、この樹林付近に遺構らしき気配が感じられるが、果たして土塁などの痕跡であるのか確定し得ないということです。

多分この場所だと思うのですが、台地に上る階段の入り口が閉ざされていて、上に上ることはできませんでした。

この近くの三峰社にも遺構らしきものあるということで、虎口に設けられた櫓台の跡かもしれないそうですが、残念ながら今回その神社を見つけることが出来ませんでした。

これでおしまいです。わかりやすい写真が撮れなくて心残りです。

現地へは京成線東中山駅から歩いて行けますが、台地以外に見るべき遺構はありませんのであしからず。

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船橋市地方卸売市場と船橋城址|千葉県船橋市市場一丁目8-1

【船橋市地方卸売市場に行ってみました。築地みたいに一般向けのお店はあるのかな?】

前から気になっていた船橋市地方卸売市場(平成26年3月までは中央卸売市場)へ行ってきました。

一般客も利用できます。私は北口から入ったのですが、ガードマンのおじさんが親切に、一般向けのお店がある場所を教えてくれました。さらに場内でキョロキョロしていたら駐車場の係の人がやはり親切に道を教えてくれました。

【正門から入りましょう】
一般向けの店舗や食堂は、正門を入って左手に郵便局を見ながら進んだ場所にあります。
場内は広いので、私のように別の入り口から入ると、苦労します。

【一般向けの店舗はこんな感じです】

関連事業者店舗棟という2階建ての建物の1階部分がお店と食堂になっています。
土地柄か、海苔を扱うお店が多かったです。
その他には、乾物、漬物、精肉、お茶、鰹節、鶏卵、包装資材、履物衣料など。
飲食店は、づけ丼や海鮮丼、煮魚の定食を提供している、いかにも「市場の食堂」なお店のほか、洋食や中華、なぜかインドカレーの店も。
気になるお値段は、800円~1000円前後というところでしょうか。

私は「市場カフェ」というお店でアイスコーヒーとホットドッグをいただきました。アイスコーヒーがとても美味しかったです。

【混んでいるの?】
私が行ったのは月曜日の10時半頃ですが、場内に人影はまばらでした。築地のような賑わいを想像していくと、少し寂しさを感じてしまうかもしれません。

【市場の真ん中を川が流れている】
敷地内を海老川が横切っていて、ジョギング中の人やママチャリで移動中の人とすれ違いました。正門や北門を通らなくても、川沿いに入れちゃうのです。

【船橋城址といわれている】
市場に隣接するアパートの辺りから正門を入ってすぐの駐車場までの一帯は、船橋城址であったと伝えられている場所です。
古くはこの地に植えられた松を「城の腰松」と呼んでいたそうです。
このページのトップの写真で木が茂っているあたりが、城の腰松があった場所だそうですが、今は飛行機工場の爆発事故の鎮魂碑と「将門の松」という石碑があるだけです。

*船橋市地方卸売市場は最初、船橋市中央卸売市場として始まりましたが、平成26年4月1日から地方卸売市場に転換しました。過去の書籍やネットの記事に中央卸売市場となっているのはそのためです。

参考
千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版2004年
船橋市ホームページ

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