タグ別アーカイブ: 市川市

二十世紀梨発祥の地は松戸ではなく千葉県市川市八幡かもしれないというお話|千葉県は梨の産地として有名です

二十世紀梨は、松戸の覚之助という人によって栽培が始まったといわれ、千葉県松戸市二十世紀が丘梨元町には、発祥の地の記念碑まで建っています。

ところが、その二十世紀梨の苗は、市川市八幡で発見されたという興味深い記事を見つけたのでその抜粋を載せました。

昭和34年に市川毎日新聞社から発行された「市川市市制25周年記念 市川の思い出」という本の中に、農業を営む北川善太郎さんという方の話として、載っていた記事です。

八幡の梨のはなし

「八幡の梨は今も有名だが、昔は千葉県で梨の出るところは此処だけだったのですよ。
八幡の梨を初めてつくったのは、今から180年ばかり前、八幡の住人の川上善六という人だが、八幡は梨づくりには最も適した土地だったのですよ。砂地でね。私たちはこの砂地に梨の木を植えましたのが ―中略― 八幡に松の木が多いのも、梨畑の防風林のつもりで植えたのが初めでね、昔は南風が強く吹いたものですが、又そのため梨の木が他所に比べておいしい原因ともなっています。」(P49)

1896年~1909年の八幡の地図。果樹園の記号がたくさんあります。

二十世紀も八幡が発祥地

「一番うまい梨だといわれている二十世紀という梨は、松戸の覚之助という人が、60年程前に栽培して売り出したとされているけど、あの二十世紀は、もとは八幡の稲荷神社の境内に自然に生えた梨なのですよ。松戸の覚之助のお父さんがね、何といったか名前は忘れたが、その人がある年、八幡様の農具市にやってきた時、八幡の親戚の家に遊びに立ち寄った。当時、今の市役所の近くに稲荷神社があってね、その境内に色のかわった梨がなっていた。これを見たその人がね、「これは面白い梨だ」とそのなしの“ボ”をもって帰って、自分の家の梨の木についでみた。そうすると何とウマイ梨が出来てね。息子の覚之助さんの代になってから「二十世紀」という名前を付けて売り出したところ、これが大当たりー略―」(P50)

以上ですがなかなか興味深いです。

現在、二十世紀梨はこの辺ではあまり見かけませんが、九十九里海岸の辺りでは栽培されています。
西日本で栽培が盛んらしく、生産額が一番多いのは鳥取県です。

千葉県内でよく見かけるのは、幸水,豊水などの皮の赤い品種です。
千葉県は栽培面積・収穫量・産出額ともに全国第1位になっています。 

地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)から使用させていただきました。

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

「第2回フォトロゲinいちかわ」に参加しました

この前の日曜日(5月28日)に「第2回フォトロゲinいちかわ」に参加しました
フォトロゲ(フォトロゲイニング)とは、制限時間内に地図に記されたチェックポイントを回って得点を競うゲームです。チェックポイントでは、主催者から渡された見本と同じ写真を撮って通過証明にします。
オリエンテーリングに似ていますが、違うのはチェックポイントを全部回る必要がないこと、回る順番も決められていないことです。
また、走っても歩いてもよく、今回は電車とバスの利用もOKでした。


主催者から渡される地図です。
赤マルで囲まれた場所の中心にチェックポイントがあります。
数字は得点です。
スタート地点から遠い場所や、探すのが難しい場所ほど高得点です。


主催者から渡されるチェックポイント一覧。この見本通りの写真を撮ります。

ちなみに私はフォトロゲ初参加です。こんな一日でした。

朝9時、スタートおよびゴール地点の千葉商科大学の学食に到着。学生さんたちに笑顔で迎えられ、受付で参加費1500円を払うと、地図、チェックポイント一覧、ルール説明書、得点集計&アンケート用紙などが渡されました。
空いている席に座って、どこをどんな順番で回るか作戦を立てます。
チームや親子、夫婦で参加の人も多くて、ルートについて熱心に議論している方々も。
9時10分からルールや注意事項の説明があり、9時半ごろから準備のできた人から順次スタート。
小さい子供のいる家族連れは歩いて、入賞を狙っていそうなランニングウエアに身を包んだ人たちは走ってスタートです。
私は9時35分に歩いてスタートしました。

まず商科大の近くの芳澤ガーデンギャラリー須和田公園で合計58点ゲット。真間のつぎはしで13点ゲットして南に向かいます。市川真間駅の南の百姓s’cafe、からHaus Von Frau Kurosawaを通ってアイリンクタウンの展望台へ行きます。ここは目立つ建物なのに63点も貰えるのです。はずせません。45階に上がってチェックポイントに指定されたパネルを撮影。
さらに南下して麻生コーヒー店の看板を撮影して40点獲得。64点の大洲防災公園に向かいましたが、ここでチェックポイントの説明版を探すのに時間がかかってしまいました。その後、約2キロ離れたドルチア本八幡店に向かう途中で右足の裏にマメができて歩く速度が上がりません。本八幡に着いたときは予定よりも大分時間が経っていました。
ドルチアからコルトンプラザの近くのおりひめ神社に行く途中では左足の裏にもマメができて痛い痛い。コルトンからサイゼリヤ1号店八幡様の大イチョウ等へ行き、予定ではここから京成線で中山へ行って70点台のポイントを4か所回るつもりでしたが、時間が足りなそう。何よりマメが痛い(多分マメがつぶれている)ので断念して、京成八幡から電車で市川真間に戻りました。
市川真間駅からは、痛む足をかばってゾンビのような歩き方になりながら千葉商科大に向かい制限時間の5分前にゴールしました。最初に考えていたほどは回れなく、あっという間の3時間でした。

ゴール後に得点を集計して係の人に渡すと、引き換えに食事券がもらえました。
得点上位の人はチェックポイントの写真の提示を求められますが、私は511点で写真の提示は求められませんでした。
お昼はチキン南蛮をいただきました。
食事後しばらくすると1位から3位までと、200点台、300点台、400点台のニアピン賞の人の表彰が始まりました。

今回、競技エリアは市川市の北部で、東西約5キロ、南北約6キロの地域に41か所のチェックポイントがあり、全部で2017点になります。優勝した方は1768点で30キロくらい移動したそうです。2位と3位の方は1600点台でした。

この企画は千葉商科大の学生が企画運営したそうです。テーマは市川のグルメとバラの花らしく、バラが見頃の里見公園や須和田公園などがルートに入っていました。私は芳澤ガーデンギャラリーの庭が気に入ったので、今度ゆっくり見に行きたいと思います。

スタートとゴールに使われた学食「The University DINING」は「木漏れ日のような優しい光に包まれた空間」という建築コンセプトそのままの、非常に気持ちのいい場所です。早稲田大学学食研究会のランキング1位だとか。学生以外も利用できるそうです。

この競技、走力はあるに越したことはないと思いますが、市街地なのでそれほど速度は出せません。地図読みが正確だとか、ルート設定が巧みだとかの要素もあるので誰でも楽しめると思いました。

競技も楽しいし(個人的には、ルートを考えるところに戦略性があってそれが面白い)、学食も気に入ったので、次回あったらまた参加したいです。

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

市川市の暗渠・平川用水路|千葉県市川市

【「暗渠サイン」とは】
「暗渠マニアック!」という本によると、ある道路が暗渠かどうか見分ける目印として、「暗渠サイン」というものが紹介されています。その中から3つほど紹介すると。

・車止めがある(暗渠の蓋は重量物に弱いので)
・近くに銭湯など大量の水を扱う施設がある
・行政境界である(水路を境にして区分けされることがあるので)

さて、上の条件に当てはまる道が市川市国分3・4丁目と国府台1丁目・真間5丁目の境にあります。
じゅんさい池公園から南南東へ延びる3本の道のうち、真ん中の道で、県道264号線まで約1500m続きます。

県道264号に交わる場所。向こうに伸びている道が元の平川用水路。この辺りは車が通れる。

車が通れない区間。下に下水道が通っている様子。

【昔この道は用水路でした】
この道は、暗渠です。
私が初めてこの道を見た四十数年前、ここは道ではなく、広~い田園地帯を横切る一本の用水路でした。名前は平川用水路といいます。
このあたりは二つの丘陵に囲まれたいわゆる「谷地」という地形で、その真ん中をじゅんさい池から国分川に向かって平川用水路が流れていました。

【いつから暗渠になったのか】
用水路の国分川に近い場所は、早くから宅地化して用水路も暗渠になってしまったのですが、じゅんさい池に近い方は80年代末頃まで暗渠化を免れていました。用水路の周りには畑が広がって、春にはヒバリが囀っているのどかな場所だったのですが。(懐かしい)
でも、ある時気が付いたら普通の道になっていました。いつの間に…。最近になってすごく気になりだし、図書館で昔の地形図等を調べてみました。

自分の記憶では1982年までは用水路があったので、1985年発行の市川市都市計画図を見てみたら、既に用水路はない。

念のため1981年の国土地理院地形図を見ると、用水路の場所は細い黒線になっていて、これは幅1.5~2.5m未満の道路を表しているのですが、まだ暗渠化していない用水路の脇の小道を表しているのではないかと思います。

同じ場所が1990年発行の地形図では2本の実線で表されていて、これは幅3.0~5.5m未満の道路を表すので、もう暗渠化して立派な道路になったということですね。

図書館の地図コーナーからはこれ以上の情報はわかりませんでした。

畑だった場所も、今ではすっかり住宅地に変わりました。用水路も暗渠というよりは立派な道路になっているので、暗渠マニアには物足りないかもしれません。

じゅんさい池を背にして元の平川用水路を見る。

上の写真の撮影地点の近くに江戸時代の庚申塔があった。

【平川用水路はいつできた?】
ところで、明治時代の地図「関東平野迅速測図」(1880-1886)を眺めていたら、平川用水路が載っていないことに気が付きました。(他の水路等は記載されている)今度はいつ頃この用水路が作られたのかが気になっています。

参考図書: 吉村生, 高山英男「暗渠マニアック! 」2015柏書房

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。