小栗原城址|千葉県船橋市本中山の土の城

土の城に関する記事もいつの間にか7本目です。今度の城跡も恐ろしく地味です。

さて、京成線で成田方面に向かうとき、中山駅と東中山駅の中間の進行方向右側に、樹木が生い茂った小高い場所があって通るたびに気なっていました。なんか城址みたいだと思って。

昨年「東葛の中世城郭」という本を購入してみたら、例の気になる場所が「小栗城址」として紹介されていました。

【旧小栗原村(古くは小栗郷)の低地帯に向かって突出していた標高二十メートル前後の舌状台地先端部にあった城跡で、「城の台城」とも呼ばれている。-中略―台地南下には「城之下」という地名が残る。】(「東葛の中世城郭」P44より)

写真は台地の東側の切通しです。写真の右側が台地で、上には稲荷神社が建っています。
京成線の車窓からだと全景が見えるのですが、現地だと引きが取れなくて一部分しか写せません。

ここから南東約200メートルの場所に多聞寺というお寺があり、墓地の部分がかなりの高台になっています。

写真は多聞寺の西側から眺めです。木の茂っている場所が墓地です。

もともとは稲荷神社の高台と多聞寺の高台はつながっていて一つの城域だったそうです。
それが明治時代に旧総武鉄道や京成線の工事の際に削られてしまい、現在の形になったそうです。もともとの城域は東西約200メートル、南北約150メートルほどと推定されるそうです。

さらに前掲書によれば、多聞寺背後の台地(墓地になっている場所)の東方、東中山1丁目13番地の台地辺縁に小社や石祠が祀られている樹林の茂った一角があり、この樹林付近に遺構らしき気配が感じられるが、果たして土塁などの痕跡であるのか確定し得ないということです。

多分この場所だと思うのですが、台地に上る階段の入り口が閉ざされていて、上に上ることはできませんでした。

この近くの三峰社にも遺構らしきものあるということで、虎口に設けられた櫓台の跡かもしれないそうですが、残念ながら今回その神社を見つけることが出来ませんでした。

これでおしまいです。わかりやすい写真が撮れなくて心残りです。

現地へは京成線東中山駅から歩いて行けますが、台地以外に見るべき遺構はありませんのであしからず。

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「フォトロゲinいちかわ」に参加しました

この前の日曜日(5月28日)に「第2回フォトロゲinいちかわ」に参加しました
フォトロゲ(フォトロゲイニング)とは、制限時間内に地図に記されたチェックポイントを回って得点を競うゲームです。チェックポイントでは、主催者から渡された見本と同じ写真を撮って通過証明にします。
オリエンテーリングに似ていますが、違うのはチェックポイントを全部回る必要がないこと、回る順番も決められていないことです。
また、走っても歩いてもよく、今回は電車とバスの利用もOKでした。


主催者から渡される地図です。
赤マルで囲まれた場所の中心にチェックポイントがあります。
数字は得点です。
スタート地点から遠い場所や、探すのが難しい場所ほど高得点です。


主催者から渡されるチェックポイント一覧。この見本通りの写真を撮ります。

ちなみに私はフォトロゲ初参加です。こんな一日でした。

朝9時、スタートおよびゴール地点の千葉商科大学の学食に到着。学生さんたちに笑顔で迎えられ、受付で参加費1500円を払うと、地図、チェックポイント一覧、ルール説明書、得点集計&アンケート用紙などが渡されました。
空いている席に座って、どこをどんな順番で回るか作戦を立てます。
チームや親子、夫婦で参加の人も多くて、ルートについて熱心に議論している方々も。
9時10分からルールや注意事項の説明があり、9時半ごろから準備のできた人から順次スタート。
小さい子供のいる家族連れは歩いて、入賞を狙っていそうなランニングウエアに身を包んだ人たちは走ってスタートです。
私は9時35分に歩いてスタートしました。

まず商科大の近くの芳澤ガーデンギャラリー須和田公園で合計58点ゲット。真間のつぎはしで13点ゲットして南に向かいます。市川真間駅の南の百姓s’cafe、からHaus Von Frau Kurosawaを通ってアイリンクタウンの展望台へ行きます。ここは目立つ建物なのに63点も貰えるのです。はずせません。45階に上がってチェックポイントに指定されたパネルを撮影。
さらに南下して麻生コーヒー店の看板を撮影して40点獲得。64点の大洲防災公園に向かいましたが、ここでチェックポイントの説明版を探すのに時間がかかってしまいました。その後、約2キロ離れたドルチア本八幡店に向かう途中で右足の裏にマメができて歩く速度が上がりません。本八幡に着いたときは予定よりも大分時間が経っていました。
ドルチアからコルトンプラザの近くのおりひめ神社に行く途中では左足の裏にもマメができて痛い痛い。コルトンからサイゼリヤ1号店八幡様の大イチョウ等へ行き、予定ではここから京成線で中山へ行って70点台のポイントを4か所回るつもりでしたが、時間が足りなそう。何よりマメが痛い(多分マメがつぶれている)ので断念して、京成八幡から電車で市川真間に戻りました。
市川真間駅からは、痛む足をかばってゾンビのような歩き方になりながら千葉商科大に向かい制限時間の5分前にゴールしました。最初に考えていたほどは回れなく、あっという間の3時間でした。

ゴール後に得点を集計して係の人に渡すと、引き換えに食事券がもらえました。
得点上位の人はチェックポイントの写真の提示を求められますが、私は511点で写真の提示は求められませんでした。
お昼はチキン南蛮をいただきました。
食事後しばらくすると1位から3位までと、200点台、300点台、400点台のニアピン賞の人の表彰が始まりました。

今回、競技エリアは市川市の北部で、東西約5キロ、南北約6キロの地域に41か所のチェックポイントがあり、全部で2017点になります。優勝した方は1768点で30キロくらい移動したそうです。2位と3位の方は1600点台でした。

この企画は千葉商科大の学生が企画運営したそうです。テーマは市川のグルメとバラの花らしく、バラが見頃の里見公園や須和田公園などがルートに入っていました。私は芳澤ガーデンギャラリーの庭が気に入ったので、今度ゆっくり見に行きたいと思います。

スタートとゴールに使われた学食「The University DINING」は「木漏れ日のような優しい光に包まれた空間」という建築コンセプトそのままの、非常に気持ちのいい場所です。早稲田大学学食研究会のランキング1位だとか。学生以外も利用できるそうです。

この競技、走力はあるに越したことはないと思いますが、市街地なのでそれほど速度は出せません。地図読みが正確だとか、ルート設定が巧みだとかの要素もあるので誰でも楽しめると思いました。

競技も楽しいし(個人的には、ルートを考えるところに戦略性があってそれが面白い)、学食も気に入ったので、次回あったらまた参加したいです。

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船橋市地方卸売市場|一般客も買い物できます|船橋城跡とも言われています|千葉県船橋市市場一丁目8-1

【船橋市地方卸売市場に行ってみました。築地みたいに一般向けのお店はあるのかな?】

前から気になっていた船橋市地方卸売市場(平成26年3月までは中央卸売市場)へ行ってきました。

一般客も利用できます。私は北口から入ったのですが、ガードマンのおじさんが親切に、一般向けのお店がある場所を教えてくれました。さらに場内でキョロキョロしていたら駐車場の係の人がやはり親切に道を教えてくれました。

【正門から入りましょう】
一般向けの店舗や食堂は、正門を入って左手に郵便局を見ながら進んだ場所にあります。
場内は広いので、私のように別の入り口から入ると、苦労します。

【一般向けの店舗はこんな感じです】

関連事業者店舗棟という2階建ての建物の1階部分がお店と食堂になっています。
土地柄か、海苔を扱うお店が多かったです。
その他には、乾物、漬物、精肉、お茶、鰹節、鶏卵、包装資材、履物衣料など。
飲食店は、づけ丼や海鮮丼、煮魚の定食を提供している、いかにも「市場の食堂」なお店のほか、洋食や中華、なぜかインドカレーの店も。
気になるお値段は、800円~1000円前後というところでしょうか。

私は「市場カフェ」というお店でアイスコーヒーとホットドッグをいただきました。アイスコーヒーがとても美味しかったです。

【混んでいるの?】
私が行ったのは月曜日の10時半頃ですが、場内に人影はまばらでした。築地のような賑わいを想像していくと、少し寂しさを感じてしまうかもしれません。

【市場の真ん中を川が流れている】
敷地内を海老川が横切っていて、ジョギング中の人やママチャリで移動中の人とすれ違いました。正門や北門を通らなくても、川沿いに入れちゃうのです。

【船橋城址といわれている】
市場に隣接するアパートの辺りから正門を入ってすぐの駐車場までの一帯は、船橋城址であったと伝えられている場所です。
古くはこの地に植えられた松を「城の腰松」と呼んでいたそうです。
このページのトップの写真で木が茂っているあたりが、城の腰松があった場所だそうですが、今は飛行機工場の爆発事故の鎮魂碑と「将門の松」という石碑があるだけです。

*船橋市地方卸売市場は最初、船橋市中央卸売市場として始まりましたが、平成26年4月1日から地方卸売市場に転換しました。過去の書籍やネットの記事に中央卸売市場となっているのはそのためです。

参考
千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版2004年
船橋市ホームページ

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市川市の暗渠・平川用水路|千葉県市川市

【「暗渠サイン」とは】
「暗渠マニアック!」という本によると、ある道路が暗渠かどうか見分ける目印として、「暗渠サイン」というものが紹介されています。その中から3つほど紹介すると。

・車止めがある(暗渠の蓋は重量物に弱いので)
・近くに銭湯など大量の水を扱う施設がある
・行政境界である(水路を境にして区分けされることがあるので)

さて、上の条件に当てはまる道が市川市国分3・4丁目と国府台1丁目・真間5丁目の境にあります。
じゅんさい池公園から南南東へ延びる3本の道のうち、真ん中の道で、県道264号線まで約1500m続きます。

県道264号に交わる場所。向こうに伸びている道が元の平川用水路。この辺りは車が通れる。

車が通れない区間。下に下水道が通っている様子。

【昔この道は用水路でした】
この道は、暗渠です。
私が初めてこの道を見た四十数年前、ここは道ではなく、広~い田園地帯を横切る一本の用水路でした。名前は平川用水路といいます。
このあたりは二つの丘陵に囲まれたいわゆる「谷地」という地形で、その真ん中をじゅんさい池から国分川に向かって平川用水路が流れていました。

【いつから暗渠になったのか】
用水路の国分川に近い場所は、早くから宅地化して用水路も暗渠になってしまったのですが、じゅんさい池に近い方は80年代末頃まで暗渠化を免れていました。用水路の周りには畑が広がって、春にはヒバリが囀っているのどかな場所だったのですが。(懐かしい)
でも、ある時気が付いたら普通の道になっていました。いつの間に…。最近になってすごく気になりだし、図書館で昔の地形図等を調べてみました。

自分の記憶では1982年までは用水路があったので、1985年発行の市川市都市計画図を見てみたら、既に用水路はない。

念のため1981年の国土地理院地形図を見ると、用水路の場所は細い黒線になっていて、これは幅1.5~2.5m未満の道路を表しているのですが、まだ暗渠化していない用水路の脇の小道を表しているのではないかと思います。

同じ場所が1990年発行の地形図では2本の実線で表されていて、これは幅3.0~5.5m未満の道路を表すので、もう暗渠化して立派な道路になったということですね。

図書館の地図コーナーからはこれ以上の情報はわかりませんでした。

畑だった場所も、今ではすっかり住宅地に変わりました。用水路も暗渠というよりは立派な道路になっているので、暗渠マニアには物足りないかもしれません。

じゅんさい池を背にして元の平川用水路を見る。

上の写真の撮影地点の近くに江戸時代の庚申塔があった。

【平川用水路はいつできた?】
ところで、明治時代の地図「関東平野迅速測図」(1880-1886)を眺めていたら、平川用水路が載っていないことに気が付きました。(他の水路等は記載されている)今度はいつ頃この用水路が作られたのかが気になっています。

参考図書: 吉村生, 高山英男「暗渠マニアック! 」2015柏書房

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許可が必要な仕事、許可が要らない仕事

最近、「個人で商売するのに許可が必要な仕事があるのはなぜなの?」をいうご質問を受けたので、ざっくりと説明したいと思います。

雑貨屋さんや、本屋さんを始めるときは、商品を並べるスペースを、借りるか何かして準備したら、あとは商品を並べてお客さんが来るのを待ちますよね。誰かに許可をもらったり、どこかに届け出たりはしませんね。

その一方で、許可や届出が必要な商売があります。

たとえば、不動産屋さんはお店の所在地の知事の免許が必要です。(国土交通大臣免許が必要になる場合もあります。)

建設業者で500万円以上の工事を請け負う人も、本店所在地の知事免許が必要です。(こっちも国土交通大臣の許可が必要な場合があります。)

住宅は大変高価な買い物ですし、建築物はきちんと造らないと危険、ということで、それぞれ信頼のおける業者や、きちんとした技術のある人しかやっちゃいけませんよ、という意味で免許や許可が必要なのだと思います。

建設業法の第1条には「建設工事の適正な施工を確保し、発注者を保護する」という文言があります。
宅建業法の第1条にも「購入者等の利益の保護」という文言があります。

キャバクラを営業する時も、許可が必要です。
こちらはお店のある場所の都道府県公安委員会の許可です。
許可の目的は
「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止」
「風俗営業の健全化に資するため、その業務の適正化を促進」(どちらも風営法第1条)
です。
風営法のもともとの目的は、売春の防止ですので経営者の履歴のほかに、店内の明るさや見通しのよさがチェックされます。また、学校や福祉施設の近くでは営業できません。

ちなみに、キャバクラを営業するなら、飲食店の営業許可も必要です。飲食物を提供するお店が不衛生だといけませんからね。

ところで、許可をもらうには、様々な要件をクリアしなければいけません。許可の種類よって異なりますが、以下のようなものです。

  • 許可を受けようとする人に十分な技術があるか、犯罪歴はないか、など
  • 営業するために必要なお金を持っているか
  • その営業を、その場所でやってよいか
  • その営業をするのに、十分な設備があるか
  • などなど。

この要件をクリアできなくて、許可を諦めることは、結構あります。なお、要件を満たさず、許可をもらうことができないことが明らかである場合は、許可をもらうための「申請書の提出」を止めておくのが普通です。

最後に、許可の必要な仕事を、もう一つご紹介しておきます。
それは古物商許可。興味のある方が多いようで、頻繁に聞かれます。

古本屋さんや中古ゲームソフト屋さん、古着屋さんなどは古物商許可が必要です。

「新刊書を売る店は許可が要らないのに何で?」と思いますよね。
古物商許可の目的は

「盗品等の売買の防止、速やかな発見等を図るため」
「窃盗その他の犯罪の防止を図り、及びその被害の迅速な回復に資する」(それぞれ古物営業第1条)
なんです。

古物商には法律で、古物を買い取るときには相手方の住所、氏名、職業及び年齢を確認することが義務づけられています。盗品が売りさばかれるのを防ぐためですね。
(ただし買い取り価格が一万円以下の場合は確認不要です。)

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行政指導が心の底から理解できた

行政書士試験を目指す皆さま。

この投稿を書いているのはたかはし行政書士事務所の行政書士1号・2号のうちの1号です。
最近、行政書士の実務を通して「行政指導」というものが心の底から理解できたので、紹介いたします。

まず、条文はどうなっているか、というと。

行政手続法の第2条六号
行政指導・・・行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。

分かったような、分からないような。。。

でも、行政書士試験を受けるからには、覚えるしかないですね。私も受験生当時は覚えました。かつ、それなりに分かった気になっていました。

しかし、最近になって、行政書士の実務において、「行政指導って、こういうことかぁ」と納得しましたので、さらりと紹介します。

行政書士の実務には、建設業許可申請という業務があります。
建設業許可を取得するには、「社会保険に入らなければならない」と一般に言われています。
しかし、社会保険に入っていなければ、建設業許可は取得させない、という主旨の法令は存在しません。実際に社会保険に入っていなくても、建設業許可は取得できます。

ではなぜ、「社会保険に入らなければならない」と言われているのでしょうか。
それは、法令とは別に、行政が建設業者の社会保険加入を推奨しているからです。
行政の窓口に問い合わせてみると「社会保険加入をお願いしております」という回答が返ってきます。法令で義務付けている訳ではないので、「お願い」であって、加入していなくても許可は取得できるということです。

ここで「行政指導」が登場します。
建設業許可申請書を作成して、提出先である土木事務所に持って行きます。
土木事務所では、社会保険に加入していないことを確認したうえで申請書を受け取り、許可が下りたのち、建設業者に社会保険に加入するようにお願いする文書が送られるわけです。

このように、法令違反ではないので許可は出すけれど、行政としては加入を推奨しているので、後日「行政指導」を行い、改めて加入をお願いする、形になるのです。

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法定後見と任意後見の違い|成年後見制度の注意点

成年後見制度には法定後見と任意後見の2種類があります。

【法定後見】

既に判断能力が衰えてしまった人が利用します。

後見・保佐・補助の3類型に分かれています。

後見は判断能力が常に欠如している人(会話のキャッチボールができないくらい)が対象。
保佐は判断能力が著しく不十分な状態にある人が対象。補助は判断能力が不十分は人が対象です。

後見人には本人がした法律行為(売買契約等)の取消権があります。
(以降、申し立て数が一番多い後見について述べます。)

誰が後見人になるかは、家庭裁判所が決定します。
後見の申し立てを裁判所にするときに、後見人になって欲しい人(例えば息子や娘など)を後見人候補者として指定できますが、必ずしもその人が選ばれるとは限りません。(*1)

【任意後見】

今現在は判断力がはっきりしている人が、将来、判断能力が衰えたときのために、あらかじめ後見人なってくれる人と契約を結んでおく制度です。

保佐、補助といった類型はありません。

任意後見人には取消権はありません。

本人の判断能力が衰えてきたときに家庭裁判所に任意後見監督人の選任の請求をし、任意後見監督人が選ばれると、後見が開始されます。(後見人と任意後見監督人の二人が登場します。混乱しないように)
任意後見人は任意後見監督人の下で、間接的に裁判所の指導を受けながら後見の仕事を行います。

【気を付けたいこと】

成年後見人は、本人の代理人として本人の財産を管理します。本人名義の通帳や不動産などは後見人の管理下に置かれ、家族が勝手に手を付けることはできません。
後見人が家族から選ばれていれば気にならないかもしれないことですが、今まで会ったこともない第三者(*2)が後見人になったときに、このことに抵抗を感じる方々もいるようです。(*3)

後見開始の申し立ては、取り下げることができません。また、後見人に選ばれた人を気に入らないからといって、取り止めることはできません。

後見は一度始まると、本人か後見人が亡くなるまで続きます。
例えば、遺産分割協議をしたいけれど親が認知症で参加できない。親の代わりに後見人をたてて無事に分割協議が終わった。もう後見人は必要ない。という場合でも、後見人を解任するわけにはいきません。

専門職後見人が選ばれた場合には、必ず報酬を払わなければなりません。
任意後見監督人にも必ず報酬を払わなければなりません(*4)

(*1)裁判所は後見人の使い込みに神経をとがらせています。候補者の財産調査などがあります。
(*2)弁護士、司法書士、社会福祉士などの専門職後見人といわれる人が選ばれます。
(*3)専門家とはいえ、見知らぬ人に後見を頼むことに抵抗があるなら、任意後見にするといいでしょう。自分で後見人を決めておけます。任意後見契約と法定後見では任意後見が優先されます。ただし、判断段能力が衰えてしまった後では法定後見制度しか使えません。
(*4)法定後見人の報酬額は、本人の財産状況などをみて裁判所が決めます。任意後見人の報酬額は本人と任意後見人になる予定の人との間で自由に決められます。任意後見監督人の報酬は家庭裁判が決めます。

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成年後見制度|後見人って何をしてくれる人なの?

【どんな制度なの?】

成年後見制度は、認知症などで判断力が衰えた人に代わって、後見人が財産の管理や契約行為などを行い、法律面や生活面で本人を支援していく制度です。

【どんな人が利用できるの?】

認知症、知的障害、精神障害、高次脳機能障害などによって判断力が不十なために、財産の侵害を受けたり、人としての尊厳が損なわれる恐れのある方です。

【後見人はどんなことをしてくれるの?】

後見人の仕事は大きく分けて「財産管理事務」と「身上監護事務」の2つがあります。

「財産管理事務」

  • 預貯金の管理
  • 日常生活費の管理、送金
  • 年金、家賃など定期的な収入の受取り
  • 税金、保険料などの費用の支払い
  • 不動産の管理、処分
  • 実印、証券、権利証などの重要物の保管など

「身上監護事務」

  • 健康診断の受診手続き
  • 医療契約、入院契約の締結(本人に代わって治療方針などを聞いたりもします)
  • 福祉施設等の入退所に関する契約の締結(老人ホーム等を見学し、環境や費用の説明を受けることなども含まれます)
  • 本人の住居の確保に関する契約の締結、費用の支払いなど

実務ではこの二種類の事務は一体的に行われます。本人の預貯金残高や年金額等と相談しながら本人に必要なサービスを考えていくことになるからです。

【後見人ができないこと】

  • 施設に入所する際の身元保証人―>成年後見人は法律的に本人と同一の立場になりますので、身元保証人にはなれません。
  • 医療同意―>後見人は入院契約はできますが手術等の同意はできません。
  • 居住用不動産の処分―>後見人が勝手に処分することはできません。家庭裁判所の許可が必要です。
  • 本人が亡くなった後のこと(死後事務)->ご遺体の引き取りや火葬、葬儀の手配などは職務ではありません。

【ときどきある勘違い】

「歳を取って家事をするのがしんどいし、銀行や郵便局まで行くのが億劫だ。後見人を付けてもらえないだろうか。」
後見制度は判断能力が衰えた人を支援する制度です。認知能力がしっかりしている人は利用できません。
平成12年に成年後見制度が始まりましたが、その時、同時に介護保険制度もスタートしました。判断力の衰えた人は成年後見制度で支援します(もちろん必要ならば介護保険制度も使えます)。判断力はしっかりしているけれど、身体的に衰えた人は(ホームヘルパー等の)介護保険制度で支援しましょう、というのが国の政策です。

「成年後見人って介護もしてくれるんでしょ。」
後見人は本人の代理として法律行為をする人です。成年後見人の「事務」とは法律行為とそれに付随する事実行為のことです。介護のような事実行為は職務に含まれません。

法律行為とは、売買契約の締結、入院の契約の締結、介護サービス契約の締結、不動産の賃貸借契約の締結などです。
事実行為とは、介護、家事、買い物、病院への付き添いなどです。

(池田惠利子 「エピソードで学ぶ成年後見人」民事法研究会 に身上監護や事実行為の分かりやすい例が載っています。良い本だと思います。成年後見に興味のある方はぜひ読んでみてください。)

成年後見には「法定後見」と「任意後見」の2種類がありますが、その説明は次回以降にする予定です。

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国分城跡を訪ねて|千葉県市川市国分の土の城

最近「東葛の中世城郭」という本を買いました。
その中で「国分城跡」として紹介されてる場所が、近所のよーく知っている場所でびっくり!
あらためて本を携えて訪ねてみました。

まずは大まかな見取り図を。出典は「千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版株式会社 2004年」です。

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「標高20メートル前後の国分寺の台地先端部に占地する。その城域は明確ではないが、下総国分寺の敷地を含む台地南東部に、東西約250メートル、南北140~170メートルの範囲にわたって数郭を形成していたと推定され」るそうです。(前掲書)

現在残っているのは土塁跡が2か所。櫓台が1か所。腰曲輪跡が1か所。
順に見ていきます。

見取り図A。土塁跡。

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高さ2メートルくらい。長さは3~5メートルくらい。

見取り図B。櫓台跡。

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土塁跡に向かい合うような形で櫓台跡があります。写真手前は虎口と推定されるそうです。
土塁と櫓台の間から細い道が住宅地へ下っています。ここからの見晴らしはかなり良く、以前書いた曽谷城跡の高台からの見晴らしによく似ています。

Aの土塁の向こうが腰曲輪らしいのですが、地面が見えないほど草が生い茂っていて全く確認できませんでした。真冬に来れば良かったのかな。

次にDの土塁。残念なことに、土塁があると思われる場所が国分寺の敷地内で、一般客立ち入り禁止の場所でした。門扉の隙間から覗いてみたりしたのですが、断念。
ちなみにこの土塁跡の西側一帯はかつて城下町を表す根小屋という字だったそうです。

国分寺門前の道路沿いの盛土。

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「門前の道路沿い(松香園入口わき)には、土塁跡の残痕と思われる盛土が南北にわずかに走っており」(前掲書)と記載のある場所です。
現在は松香園の建て替えに伴って盛土がこんなに小さくなっていますが、たしかに昔はここにもっと大きな盛土がありました。高さも幅も現在の倍あった気がします。
しょっちゅう目にしていた割には、なんで道の脇のこんなところに土が盛ってあるのか、気にもしませんでした。

戦国時代にこのあたりを支配していたのは高城氏だったそうですが、ここが戦国城郭としてどの程度機能したのかなどについては、はっきりとは分からないそうです。

でも一応城跡ですし、ほとんど何も残っていないに等しくても、近所に城跡があるのは嬉しいものです。

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庚申塔 | 市川の石造物

9月18日のツイートや昨年12月のブログで登場した「庚申塔」についてのメモ程度の記事です。

【庚申塔とは】
ウィキペデアによると、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

国分5丁目の庚申塔。4丁目と3丁目と接する角にある。下部に猿らしきのが見える。

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市川1丁目と新田5丁目の境にある庚申塔。道標も兼ねている。三猿も彫られている。

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【庚申講とはなにか】
庚申講とは庚申信仰の信者の集まりのことです。

【どんな教えなのか】
庚申信仰の唯一の教えは、庚申の日は眠らないで一晩中起きているというだけです。
庚申の日の夜、信者が当番の家に集まって、一晩中飲食を共にしてにぎやかに過ごすのです。

【庚申の日とは何なのか】
昔の日本では年や日付を十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥)の組み合わせで表していました。
(例) 甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰というように進んでいく。
十干十二支を順次に組み合わせていくと日付の場合は61日目で、年の場合は61年目で一周します。なので庚申講は60日毎に行われます。

【なぜ庚申の日には眠らないのか】
人の体内には三尸(さんし)という虫が住んでいて、この虫は庚申の日の夜になると眠っている人の体を抜け出して、天帝にその人の過ちを報告しに行くのだそうです。その報告をもとにして寿命が決まってしまうので、虫を外に出さないように、つまり眠らないようにするのです。

【庚申信仰は宗教の闇鍋と言われている】
平安時代の貴族たちのあいだで「守庚申」という行事が行われていて、これも庚申の日に一晩中起きて詩歌管弦などを楽しんだそうです。これがいつのころからか信仰として庶民の間に広まったようですが、その経緯についてはよく分かっていないようです。

体系だった教義らしきものはなく、「庚申教」というものはあるが内容は三尸説の解説書といった内容だそうです
ご利益は、豊作、豊漁、長寿、厄除け、方位除け、良縁祈願、商売繁盛、と何でもありのようです。

信仰なのですからご本尊もあります。庚申堂は青面金剛(しょうめんこんごう)を祀り、庚申社は猿田彦を祀っているそうです。(庚申のお堂やお社があるようです。私はまだ見たことがありません。)

これが庚申塔になると一気に種類が増えます。
仏教系のご本尊として、青面金剛、如来、観音、菩薩、明王、天部の神、荒神など。
神道系のご本尊として、猿田彦、山王権現など
その他、道祖神、岐神、賽神、八衢の神、大田命、都波岐大神など。

「どう分類してもその悉くを尽くすことはできない(「石神信仰」大護八郎)」そうです。

形態もいろいろで、塚、自然石を用いたもの、板状の板碑、宝塔、宝筐院塔(ほうきょういんとう)、灯篭、石祠など。かならずしも塔状ではないのです。

彫ってある内容も一通りではなく、仏像のほか文字を彫ったものもあります。文字は「庚申塔」とそのままのもの。「南阿弥陀仏」など名号、「青面金剛」など祭神の名もあります。

祭神に加えて、鶏や猿が彫られていることも多く、中央に青面金剛、上部に日辰、月辰、下部に鶏と三猿(見ざる言わざる聞かざる)が配されているものが基本形とみなされているそうです。しかし、なぜこれらのものが表されているのか由来はよくわからないようです。

昨年12月のブログで、庚申の申にちなんで猿が彫られると記しましたが、そんなに単純なことではないようです。「庚申信仰」を記した飯田道夫氏は、三猿こそが庚申尊であると述べられています。

庚申塔は一般に供養塔と言われていますが、心願成就の記念碑らしきものや墓碑らしきものあるそうで「一概に供養塔と決めつけてしまうのもどうかと思う。(「庚申信仰」飯田道夫)」そうです。

庚申塔がある場所ですが、村のはずれ、村と村の境に立っていることが多いそうです。

村の境に立っている神様で有名なのは道祖神です。道祖神は徐病の神とされ、昔は疫病は外部から村に侵入してくるものと考えられていたので、それを防ぐために村の境に道祖神が建てられたそうです。
道祖神の正体は猿田彦とされていたので、庚申塔も村の境に建てられることが多いらしいのです。
村の境に建てるので、道標を兼ねている庚申塔もたくさんあります。

庚申塔はバラエティーに富んでいるので被写体として人気があるようです。また雑多なところが探求心をそそるらしく、在野の研究者が多いそうです。

今回参考にした本「庚申信仰」飯田道夫 人文書院 1989年 「日本人の宗教 信仰と習俗」山折哲夫 

まだ読んでいませんが、「庚申信仰の研究」窪徳忠 は庚申信仰のについての唯一の学術的研究だそうです。「庚申待と庚申塔」三輪善之助 は庚申信仰に関する話題の全てが取り上げられていて、昭和10年刊の本ですが今読んでも色あせていないそうです。

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