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足尾銅山・廃墟・社宅跡に行ってきた|廃墟マニアには有名な場所?

市川から日帰りで足尾(栃木県日光市)に行ってきた。

あの、足尾銅山の観光用に整備されている坑道と、廃墟群を見てきた。

鉱山というと坑道で鉱石を採掘する光景ばかり思い浮かぶが、鉱石を精錬するための設備も必要だし、そこで働く人々や家族のための社宅なども必要で、銅山が閉山したのちこれらが廃墟となって足尾の町のあちらこちらに点在しているのである。

などということは、実は足尾に着いてから初めて知ったことで、よくわからないまま廃墟好きな人に誘われて行ってびっくりな場所だった。

まずは「足尾銅山観光」という昭和の香りたっぷりな施設に行った。

チケット販売所で入場券を買い、トロッコで坑道に入るが、トロッコからはすぐに下りて自分で歩いて見学する。
坑道には江戸時代から昭和までの採鉱の様子が人形で再現されている。なんとなく知っている光景である。

しかし、やはり行ってみなければわからないなと感じたのが、水。
地下水がそれはもう大量にしたたり落ちてくる。私のスマホは防水ではないので怖くて使えない。仕方なく10年前に買った防水のデジカメで写真を撮ったが、このカメラ、薄暗い場所は苦手のようでろくな写真が撮れなかった。
江戸時代はこの大量の地下水を人の手で外に汲みだしたという。

湿気で体を壊す人もいたのじゃないかと思った。

坑道から出ると資料館とお土産物屋さんとレストランがあった。
資料館は古びてはいるが説明がきちんと書かれていて好印象。
お土産物屋さんとレストランは、ザ・昭和な雰囲気がマニアに喜ばれそう。
この施設は昭和55年開業だそうだけど、そのころの観光地の雰囲気そのままだった。
変にリニューアルしたりしないで頑張って欲しい。

次は廃墟巡り。

足尾銅山観光の敷地の隣に、かつて発電所と変電所だった建物があって、これは後でわかったのだが有名な廃墟だった。昔書かれたブログなどを見ると、廃墟の中に入れた時代もあったようだが、今は外から見るだけ。

今の時期、新緑が目にまぶしく、役目を終えた建築物と木々の若芽の対比が美しかった。

社宅跡にも行ってみた。

社宅跡は足尾に何か所もあって、土台の石垣しか残っていないものもあるし、きちんと手入れがされて今も人が住んでいるものもある。
現代の社宅と違って平屋の長屋風の建物である。
風と書いたのはなんとなくそんな感じがしたからで、一棟に一家族なのかもっとたくさん住んでいたのかは見ただけではわからなかったから。
建物の壁は北国でよくみられる木を横に打ち付けた壁(なんていう名前なんだろう)で、屋根はトタン。
トイレは共同で、建物と建物の間の空き地にトイレだけの建物が建っていた。今でも使われているらしくきれいに手入れされていた。しかし、後からトイレを付け足したらしい社宅もある。(建て増ししたような部分にベンチレーションが立っているのでわかる。)

防火水槽という標識が立っていた、巨大水槽

いい感じに古びている

数件おきにレンガ製の防火壁が建てられていた。他の地区の社宅にもあった。社宅が消滅して防火壁だけが残っている地区もあった。

今回じっくり見てまわった社宅は中才社宅跡というが、今も人が住んでいるものだった。
板張りの平屋の屋外にコンクリの流し台があったり、郵便受けが木製だったり、やはり木製の牛乳箱があり、窓の格子も木製で、戦前の建物ってこうだったような気がする。私は戦後生まれだけど、子どもの頃まだこんな家があった気がする。

すごくレトロな佇まいに心を打たれたが、他人の家なので写真は載せないでおく。
住人がいたら一言おことわりしてから撮りたかったのだが、人が住んでいるのは確かなのに人の気配がしなかった。
昭和初期にタイムスリップしたかのような異空間だった。

ところで、足尾銅山観光の隣に日光市観光協会足尾案内所があって、そこに置いてあった地図「足尾まち歩き」が大変わかりやすかった。というか、この地図がなかったら見逃してしまう廃墟(地図では廃墟なんて言わずに○○跡と表示している)がたくさんあったはず。

地図によれば、足尾の観光名所は「小滝抗エリア」「本山抗エリア」「松木エリア」「東部エリア」に分かれている。

発電所跡と社宅を歩いて見た後は、最も○○跡が多い「小滝抗エリア」を車で移動しながら見学した。

庚申川に沿った長さ6.5キロの道で反対側は山の斜面が続いていて平たい場所はあまりない。
この地区にかつては精錬所、商店、飲み屋、回り舞台付きの劇場、、小学校などがあって、一万人以上の人が暮らす一つの町がつくられていたというが、残っているものはごく僅かだった。

小滝選鉱所跡と精錬所跡は山の斜面に石垣、レンガ、コンクリートの壁が残っているが、森に帰りつつある。

石垣の部分だけ見ると戦国の城のようだった。写真はコンクリとレンガが多く残っている場所。

エリアにお奥のほうにも社宅跡があるが、すでに上屋はなく土台に石垣が残るだけだった。

わずかに残っている土台も、林の中に埋もれつつある。山を開いてつくった町が、山に帰っていく。

現地の案内板の写真

今はこのような、カラマツ林。

土台ばかりではなく、坑口や共同浴場跡など他にもたくさんの「○○跡」があった。

写真は小滝抗口

市川の自宅を朝の6時に出てここまで見てきて午後3時を過ぎた。

この後私たちは「本山抗エリア」の廃墟たちを駆け足で車の中から見て、帰途に着いた。
「本山精錬所跡」や「精錬所大煙突」など、「小滝抗エリア」とはまた違った感じの建物を見ることができた。

夏は木が邪魔をして廃墟見物には不向きなので、次の秋にこのエリアを含む残りの場所をじっくり訪ねることにしている。

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