カテゴリー別アーカイブ: 土の城

小金城(大谷口城)跡|千葉県松戸市の土の城

千葉県松戸市にある小金城跡に行ってきました。

発掘調査によれば、県下最大級の中世城郭だったそうですが、現在は大谷口歴史公園にほんの一部の遺構が残っているだけです。

歴史公園の遠景

公園内では、土塁、虎口、障子掘、畝掘が見られます。
私は、障子堀と畝堀が見たくて訪ねたのですが…。
こんな感じで…。

障子堀

畝堀

発掘当時はこうだったようですが。

障子堀(案内板の写真)

畝堀(案内板の写真)

風雨には勝てません。

障子堀も畝堀も、堀の内部に侵入した敵の動きを封じて、弓矢などで攻撃しやすくするための障害物です。

昔、空堀というものを知ったときは、水がないならすぐ渡れるのではないか、と思ったものですが、武士は重い鎧を付けているし、堀に降りたら敵からの攻撃を遮る物もないのでそう簡単に越えられるものではないのでしょうね。。

宅地造成の際に発掘調査が行われたそうで、園内の案内板には、土塁や堀の跡を重ね合わせた空中写真が掲示されています。
9~10の曲輪がつながった形状だったと予想されています。現在の常磐線と流鉄流山線とまてばしい通りに囲まれた一帯が城域だったようです。南北約600メートル、東西約800メートルという城域は、東京ドームのグラウンドの面積と比べると約37倍の広さです。

歴史公園から西へ200メートルほどの場所には、馬屋敷跡が緑地として整備されています。

築城年はよくわかっていませんが、1500年代半ばには籠城戦に耐えられる規模になっていたようです。
城主の高城氏は秀吉の小田原攻めの際に北条方に付いたのですが、城は一戦もせずに明け渡され、建物は灰燼に帰したといわれています。

最寄り駅はJR常磐線北小金駅です。
駅の北口を出て右方向へ進み、大きな道路(まてばしい通り)に出たら左へ曲がり直進します。セブンイレブンを通り過ぎると信号があり、左に道が2本V字状に出ているので、向かって右の道に行きます。すぐに丁字路に突き当たり、正面に大勝院幼稚園が見えます。右へ曲がって3分くらいで公園の入り口が見えてきます。

参考文献
千野原靖方 東葛の中世城郭 崙書房出版 2004

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

小栗原城址|千葉県船橋市本中山の土の城

土の城に関する記事もいつの間にか7本目です。今度の城跡も恐ろしく地味です。

さて、京成線で成田方面に向かうとき、中山駅と東中山駅の中間の進行方向右側に、樹木が生い茂った小高い場所があって通るたびに気なっていました。なんか城址みたいだと思って。

昨年「東葛の中世城郭」という本を購入してみたら、例の気になる場所が「小栗城址」として紹介されていました。

【旧小栗原村(古くは小栗郷)の低地帯に向かって突出していた標高二十メートル前後の舌状台地先端部にあった城跡で、「城の台城」とも呼ばれている。-中略―台地南下には「城之下」という地名が残る。】(「東葛の中世城郭」P44より)

写真は台地の東側の切通しです。写真の右側が台地で、上には稲荷神社が建っています。
京成線の車窓からだと全景が見えるのですが、現地だと引きが取れなくて一部分しか写せません。

ここから南東約200メートルの場所に多聞寺というお寺があり、墓地の部分がかなりの高台になっています。

写真は多聞寺の西側から眺めです。木の茂っている場所が墓地です。

もともとは稲荷神社の高台と多聞寺の高台はつながっていて一つの城域だったそうです。
それが明治時代に旧総武鉄道や京成線の工事の際に削られてしまい、現在の形になったそうです。もともとの城域は東西約200メートル、南北約150メートルほどと推定されるそうです。

さらに前掲書によれば、多聞寺背後の台地(墓地になっている場所)の東方、東中山1丁目13番地の台地辺縁に小社や石祠が祀られている樹林の茂った一角があり、この樹林付近に遺構らしき気配が感じられるが、果たして土塁などの痕跡であるのか確定し得ないということです。

多分この場所だと思うのですが、台地に上る階段の入り口が閉ざされていて、上に上ることはできませんでした。

この近くの三峰社にも遺構らしきものあるということで、虎口に設けられた櫓台の跡かもしれないそうですが、残念ながら今回その神社を見つけることが出来ませんでした。

これでおしまいです。わかりやすい写真が撮れなくて心残りです。

現地へは京成線東中山駅から歩いて行けますが、台地以外に見るべき遺構はありませんのであしからず。

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

船橋市地方卸売市場と船橋城址|千葉県船橋市市場一丁目8-1

【船橋市地方卸売市場に行ってみました。築地みたいに一般向けのお店はあるのかな?】

前から気になっていた船橋市地方卸売市場(平成26年3月までは中央卸売市場)へ行ってきました。

一般客も利用できます。私は北口から入ったのですが、ガードマンのおじさんが親切に、一般向けのお店がある場所を教えてくれました。さらに場内でキョロキョロしていたら駐車場の係の人がやはり親切に道を教えてくれました。

【正門から入りましょう】
一般向けの店舗や食堂は、正門を入って左手に郵便局を見ながら進んだ場所にあります。
場内は広いので、私のように別の入り口から入ると、苦労します。

【一般向けの店舗はこんな感じです】

関連事業者店舗棟という2階建ての建物の1階部分がお店と食堂になっています。
土地柄か、海苔を扱うお店が多かったです。
その他には、乾物、漬物、精肉、お茶、鰹節、鶏卵、包装資材、履物衣料など。
飲食店は、づけ丼や海鮮丼、煮魚の定食を提供している、いかにも「市場の食堂」なお店のほか、洋食や中華、なぜかインドカレーの店も。
気になるお値段は、800円~1000円前後というところでしょうか。

私は「市場カフェ」というお店でアイスコーヒーとホットドッグをいただきました。アイスコーヒーがとても美味しかったです。

【混んでいるの?】
私が行ったのは月曜日の10時半頃ですが、場内に人影はまばらでした。築地のような賑わいを想像していくと、少し寂しさを感じてしまうかもしれません。

【市場の真ん中を川が流れている】
敷地内を海老川が横切っていて、ジョギング中の人やママチャリで移動中の人とすれ違いました。正門や北門を通らなくても、川沿いに入れちゃうのです。

【船橋城址といわれている】
市場に隣接するアパートの辺りから正門を入ってすぐの駐車場までの一帯は、船橋城址であったと伝えられている場所です。
古くはこの地に植えられた松を「城の腰松」と呼んでいたそうです。
このページのトップの写真で木が茂っているあたりが、城の腰松があった場所だそうですが、今は飛行機工場の爆発事故の鎮魂碑と「将門の松」という石碑があるだけです。

*船橋市地方卸売市場は最初、船橋市中央卸売市場として始まりましたが、平成26年4月1日から地方卸売市場に転換しました。過去の書籍やネットの記事に中央卸売市場となっているのはそのためです。

参考
千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版2004年
船橋市ホームページ

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

国分城跡を訪ねて|千葉県市川市国分の土の城

最近「東葛の中世城郭」という本を買いました。
その中で「国分城跡」として紹介されてる場所が、近所のよーく知っている場所でびっくり!
あらためて本を携えて訪ねてみました。

まずは大まかな見取り図を。出典は「千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版株式会社 2004年」です。

pa2609217

「標高20メートル前後の国分寺の台地先端部に占地する。その城域は明確ではないが、下総国分寺の敷地を含む台地南東部に、東西約250メートル、南北140~170メートルの範囲にわたって数郭を形成していたと推定され」るそうです。(前掲書)

現在残っているのは土塁跡が2か所。櫓台が1か所。腰曲輪跡が1か所。
順に見ていきます。

見取り図A。土塁跡。

pa24091059

高さ2メートルくらい。長さは3~5メートルくらい。

見取り図B。櫓台跡。

pa24091148

土塁跡に向かい合うような形で櫓台跡があります。写真手前は虎口と推定されるそうです。
土塁と櫓台の間から細い道が住宅地へ下っています。ここからの見晴らしはかなり良く、以前書いた曽谷城跡の高台からの見晴らしによく似ています。

Aの土塁の向こうが腰曲輪らしいのですが、地面が見えないほど草が生い茂っていて全く確認できませんでした。真冬に来れば良かったのかな。

次にDの土塁。残念なことに、土塁があると思われる場所が国分寺の敷地内で、一般客立ち入り禁止の場所でした。門扉の隙間から覗いてみたりしたのですが、断念。
ちなみにこの土塁跡の西側一帯はかつて城下町を表す根小屋という字だったそうです。

国分寺門前の道路沿いの盛土。

pa240914610

「門前の道路沿い(松香園入口わき)には、土塁跡の残痕と思われる盛土が南北にわずかに走っており」(前掲書)と記載のある場所です。
現在は松香園の建て替えに伴って盛土がこんなに小さくなっていますが、たしかに昔はここにもっと大きな盛土がありました。高さも幅も現在の倍あった気がします。
しょっちゅう目にしていた割には、なんで道の脇のこんなところに土が盛ってあるのか、気にもしませんでした。

戦国時代にこのあたりを支配していたのは高城氏だったそうですが、ここが戦国城郭としてどの程度機能したのかなどについては、はっきりとは分からないそうです。

でも一応城跡ですし、ほとんど何も残っていないに等しくても、近所に城跡があるのは嬉しいものです。

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

中山法華経寺の蓮の花と若宮館跡(若宮城址)

【蓮の花が綺麗に撮れました】

P7070657184189

市川市中山の法華経寺にある八大竜王池の蓮の花です。直径20センチくらい。ボリュームたっぷりで見応えがありました。
あとで聞いたところによると、蓮の花は早朝に咲いて、午前中にしぼんでしまうとか。ここを通りかかったのはお昼頃なのですが、間に合ってよかった。

【亀の放流所?】

蓮の生えている池の一角に、亀がうじゃうじゃいました。周りとはしっかりと区切られていて、亀は蓮の生えている方には行けないようになっていました。

なんでも、亀は蓮の根を食い荒らしてしまうそうなんです。
「蓮・睡蓮を立派に咲かせるためにも亀・鯉等の放流は「亀・鯉池」と表示された場所以外には絶対に放流しない様にお願いします。」という看板が立っていました。

亀はほとんどがミドリガメでした。お店で売っているときは小さくてかわいいけど、育つと30センチにもなるのですよね。
(亀のいる池の写真も撮りましたが、特にきれいなものでもないので載せません。)

【若宮館址(若宮城址)】

法華経寺は日蓮宗のお寺です。
日蓮が布教活動をしていた頃(鎌倉中期)このあたりに富木常忍という人がいて、下総国の守護である千葉縁頼胤に仕えていました。
富木常忍は日蓮の熱心な信者で、みずからの屋敷の敷地内に法華堂を建て、日蓮を迎え入れて説法をしてもらっていました。
さらに、富木常忍は日蓮の死後、法華堂を法華寺として宗教活動に専念しました。
この屋敷跡が現在の奥の院(若宮館跡)です。

鎌倉時代の武士の館は、基本的に正方形で、周囲が土塁で囲まれていました。(方形居館というそうそうです。)
若宮館跡もほぼ正方形で、かなり不完全ながらも土塁が残っています。

若宮館跡をなぜか若宮城址と表記している本もあります。
武士の館が軍事拠点として城郭化することもあるらしいのですが、ここが城郭だったことはないようです。

法華寺が近くにあった、やはり日蓮宗の本妙寺と一体となって、やがて法華経寺と称するようになったそうです。

土塁
この部分は高さ2メートルくらい

P7070662185186188

blog_banner_01

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

千葉県市川市の曽谷城跡に行ってみました

平成6年発行の本「東葛飾の歴史地理」によれば、市川市内に曽谷城址という中世の古城跡があるらしいのです。

本文中には〈東葛飾地域の主な古城跡〉の地町村別一覧表が載っています。
しかし、それらは大正12年発行の「東葛飾郡誌」と「昭和45年千葉県城郭調査報告」を参考にしているというので少し心細いのです。

ネットで調べてみたら、案内板くらいはあるらしいので行ってみました。

【場所】
曽谷3丁目22番地に案内板が立っていました。
県道264号(高塚新田市川線)沿いのNTTの建物の脇の道を登って少し進んだ場所です。

【地形】
小さな台地です。比高は15メートルだそうです。

【現状】
他の人のホームページにも書かれている通り遺構は残っていません。
台地の上は、ほぼ住宅地です。
「余湖くんのホームページ」では道の脇に城址碑と案内板が立っており、城址碑の脇を右に入っていくと、「唯一、城塁と土塁を残している、腰曲輪状の部分に出ることができる。ただし、土塁は民家の庭の一部になっている。」と紹介されていましたが、今は家が建っています。
現地の案内板には
「現在では台地が崩され、わずかに石井氏宅の裏庭に、土塁と空堀に一部が残されているだけで、曽谷城の全容を知ることはできません。」とあります。
石井氏宅を探してみたのですが、見つかりませんでした。
もっとも、この案内板の記事は昭和56年のものですので仕方ないかもしれません。

【感想】
それでもやはりこんな道を見ると、気のせいか城跡っぽさを感じてしまいます。もとからのものなのか、宅地開発で出来た地形なのかは分かりませんが、住宅地にしては複雑な地形がみられます。
3丁目の案内板が立っているあたりです。

P5180621162168

台地から西の方角を見たところです。

P5180627165166

実際の階段と坂道は写真で見るよりもずっとずっと急です。その向こうは東京都まで見わたすことができます。これなら敵が攻めて来てもすぐに見つけることができそうですし、守るのも楽そうです。

城跡のある台地の遠景。

P5180616161167

写真だとたいしたことなさそうですが、ここから結構長い坂道を上らないとたどり着けません。

この辺り一帯は昔は湿地帯でした。この城が建っていた当時も湿地帯だったとしたら、攻める方はさぞ大変だったでしょうね。

blog_banner_01

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

千葉県柏市の土の城|増尾城址総合公園

西股総生氏の著書「土の城指南」の中で、「遺構の残りがよく、歩きやすい状態が保たれている」「駅近優良物件」と紹介されていた増尾城に行ってきました。

【遺構の様子】
副郭の周りにめぐらされた土塁
P4180609156157


P4180606158

東西約130メートル、南北約45~100メートル、土塁の高さ2.5~3メートル、高さ約20メートル。小規模な舌状の台地を利用して作られた連郭式の城郭です。

現地の見取図によれば

  • 虎口が二か所
  • それぞれの郭は空堀で囲まれている
  • 主郭、副郭それぞれに腰曲郭が張り出している
  • 西南の隅に大規模な張り出し櫓がある
  • 西南方向に堀切がある

土の城初心者の私には残念ながら、腰曲輪、二か所ある虎口のうち一か所、堀切が見分けられませんでした。
それでも、戦国の城の雰囲気を十分に味わうことができました。

【バーベキューのできる広場がある】
城跡のある区画を出て、林の斜面沿いの道を歩いていくと、芝生や子供向け遊具のある広場に出ます。
木々に囲まれた城跡とは対照的な明るい空間です。
バーベキューサイトもあり、大勢の家族連れで賑わっていました。
利用には申し込みが必要だそうです。(「公園の管理事務所にお問い合わせください」とのこと)。

【道順】
私は東武野田線(昨年から「アーバンパークライン」という名になった)増尾駅から徒歩で行きました。約20分かかります。
道順を記しておくのでよかったら参考にしてください。

  1. 東口に出る。出たら右手へ向かう。
  2. 「森の生鮮市場」というスーパーがあり、スーパーに向かって左隣に駐車場があるので、そこを右折する。
  3. バス通りに出るので、出たら左折して直進。信号機の数を数え始めること。
  4. 五つ目の信号を右折。細い道を通り抜けて二車線の道路に出る。出たら左折。最初の交差点の近くに公園の入り口と駐車場がある。

道路に面した入り口から、階段を昇り、「城跡→」という案内板に従って進むと、目の前にぐるりを土塁で囲まれた副郭が現れます。
感動の瞬間です。

増尾城遠景
P4180613160
写真中央の林の部分が城跡です

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。

里見公園は国府台城だった。古墳と石棺もあった。

表題の通り、市川市にある里見公園は、由緒ある古戦場を記念するため、国府台城があった場所に、市川市がつくった公園だそうです。

わずかに城郭の遺構も残されているというので、確かめに行ってきました。

なれ親しんだ公園を、城郭址だという視点から見てみるとどうなのか。

正門から少しばかり進んだところに、「国府台城跡」という石碑が立っています。黒ずんで字がよく見えなかったので、今まで気が付きませんでした。

石碑の近くには小さな金属の説明版。これによれば、公園内には今でも土塁や空堀のあとが認められるとあります。

少し離れた場所に大きな説明版。これにも公園内に、破壊が激しいながらも、土塁状の城郭遺跡が現存していると書かれています。

ただ、残念なことに、肝心の遺構の場所がはっきりとは示されていません。看板もないし、地図もありませんでした。

公園の北側の土塁(と考えられている場所)については、それらしきものを見つけることができました。
写真を撮りたかったのですが光線の具合が難しくてあきらめました。

あとの遺構は分からないままでした。

あちこちに小高くなった場所があって、その気になると、どこも土塁に見えてきてしまいました。

公園で貰ってきたパンフレットによれば。

江戸川に向かって、コの字型に二重の土塁が築かれていたことが推定できる。
古文書などから、この土塁の外側を空堀が囲っていたことを知ることができる。だそうです。

話はかわって。
公園の北西部分に明戸古墳(あけどこふん)があり、このへんでは珍しい石棺を見ることができます。

P11305161831

前方後円墳だそうです。

P11305172023

石棺があるのはこの盛土の上の部分です。

P11305182426

約400年前に、里見氏と北条氏、総勢2万8千人による合戦が行われた地とは思えない静けさでした。

この記事を気に入っていただけましたら、シェアをお願いいたします。