作成者別アーカイブ: 行政書士1号・2号

鎌倉の朝比奈切通しに行ってきた

先週、朝比奈切通し、熊野神社、十二所果樹園をハイキングしてきましたが、思っていたよりも山深くて、途中あせりを感じた話です。

一番見ごたえがあった場所。横に立っている人と比べるとスケールがよくわかる。

熊野神社入り口。本殿はまだまだ先。

熊野神社

【事前の予想】
・地図やグーグルアースで場所を確認すると、切通しのある丘陵地帯の際まで住宅等が建っていたので、地元市川市でいったら小塚山程度の感覚でいた。
・有名な観光地なので、当然、道標も整備されていると思っていた。
・切通しを抜けるだけなら1時間もあればいいらしいので、そこに熊野神社や果樹園を加えても2~3時間でまわれると考えていた。
・果樹園は、展望台があるくらいだから自動販売機くらい置いてあるだろうと勝手に決めていた。
・そもそもそんなに山の中だと思わなかった。

実際は苦しい誤算と嬉しい誤算が。

【苦しい誤算】

道標は全くと言っていいほどない。特に熊野神社から果樹園に行く道は道標がない。
・果樹園近くの道はアップダウンがあって喉が渇くが、どこにも自動販売機はない。
・写真を撮りながら歩いたせいかもしれないが、3時間半以上はかかった。

【嬉しい誤算】

・すぐそこが市街地とは思えないほどの自然。バス停から10分ぐらいでこんな景色。

・果樹園も、展望が素晴らしいく、イスとテーブルがあるほかは、手つかずの自然が残されている。あそこに自販機があったら興ざめ。
・前半の沢沿いの道、熊野神社からの落ち葉を踏みしめながらの道とバラエティーに富んでいる。特に沢沿いの道はかなり珍しい景色だと思う。

この辺は両側の壁も道も石

【飲み物を持って行かなかったばかりによけいな気苦労をした】

実は私、水を持って行かなかった。2~3時間歩くだけなら普段だって水分は摂らないし、それに自販機が1台くらいはあるだろうと。

さて、熊野神社までは順調に楽しく歩いたのですが、果樹園に行くときに間違えて鉄塔の保守のための道に迷い込んで時間と体力を食われてしまった。
すると急に水を持っていないことが不安になってきて、「このまま迷い続けたら…」「脱水症になったらどうしよう」とか、はたまた昔、ハイキング仲間だった人たちから聞いた、登山中に水を飲み切ってしまった後に道に迷った話を思い出したり。(彼、彼女らは葉っぱについていた雨水を舐めて喉の渇きを癒したそうです。)
低山って周りの景色が単調だからかえって現在位置がわかり難くて、自分の脳内では完全に道迷い遭難していました。結局、連れのスマホに助けられたのですが。一人でせかせかと歩いていたら、「もっと景色を楽しもうよ(怒)」と言われてしまった。(連れは道がわかっていたらしい。)

【足元は準備万端だった】

事前の調べで、沢のような場所を歩くと知っていたので、皮革製の軽登山靴を履いていた。長年にわたってミンクオイルを塗り続けているので防水ばっちりです。布製の靴だったら辛いハイキングになったと思う。

【登山スタイルが吉】

どんな服装で行くか随分と迷ったのですが、軽登山靴、ユニクロのストレッチパンツ、ヒートテック上下、ネルシャツ、アシックスのウインドブレーカー、トレラン用の小型のリュックで行きました。
すれ違う人たちは、きちんとした登山スタイルの人が多かったです。やっぱりそうなんだ。

今回は低山歩きを舐めてはいけないという、自戒を込めた話でした。

それにしても素敵な道でした。

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小金城(大谷口城)跡|千葉県松戸市の土の城

千葉県松戸市にある小金城跡に行ってきました。

発掘調査によれば、県下最大級の中世城郭だったそうですが、現在は大谷口歴史公園にほんの一部の遺構が残っているだけです。

歴史公園の遠景

公園内では、土塁、虎口、障子掘、畝掘が見られます。
私は、障子堀と畝堀が見たくて訪ねたのですが…。
こんな感じで…。

障子堀

畝堀

発掘当時はこうだったようですが。

障子堀(案内板の写真)

畝堀(案内板の写真)

風雨には勝てません。

障子堀も畝堀も、堀の内部に侵入した敵の動きを封じて、弓矢などで攻撃しやすくするための障害物です。

昔、空堀というものを知ったときは、水がないならすぐ渡れるのではないか、と思ったものですが、武士は重い鎧を付けているし、堀に降りたら敵からの攻撃を遮る物もないのでそう簡単に越えられるものではないのでしょうね。。

宅地造成の際に発掘調査が行われたそうで、園内の案内板には、土塁や堀の跡を重ね合わせた空中写真が掲示されています。
9~10の曲輪がつながった形状だったと予想されています。現在の常磐線と流鉄流山線とまてばしい通りに囲まれた一帯が城域だったようです。南北約600メートル、東西約800メートルという城域は、東京ドームのグラウンドの面積と比べると約37倍の広さです。

歴史公園から西へ200メートルほどの場所には、馬屋敷跡が緑地として整備されています。

築城年はよくわかっていませんが、1500年代半ばには籠城戦に耐えられる規模になっていたようです。
城主の高城氏は秀吉の小田原攻めの際に北条方に付いたのですが、城は一戦もせずに明け渡され、建物は灰燼に帰したといわれています。

最寄り駅はJR常磐線北小金駅です。
駅の北口を出て右方向へ進み、大きな道路(まてばしい通り)に出たら左へ曲がり直進します。セブンイレブンを通り過ぎると信号があり、左に道が2本V字状に出ているので、向かって右の道に行きます。すぐに丁字路に突き当たり、正面に大勝院幼稚園が見えます。右へ曲がって3分くらいで公園の入り口が見えてきます。

参考文献
千野原靖方 東葛の中世城郭 崙書房出版 2004

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二十世紀梨発祥の地は松戸ではなく千葉県市川市八幡かもしれないというお話|千葉県は梨の産地として有名です

二十世紀梨は、松戸の覚之助という人によって栽培が始まったといわれ、千葉県松戸市二十世紀が丘梨元町には、発祥の地の記念碑まで建っています。

ところが、その二十世紀梨の苗は、市川市八幡で発見されたという興味深い記事を見つけたのでその抜粋を載せました。

昭和34年に市川毎日新聞社から発行された「市川市市制25周年記念 市川の思い出」という本の中に、農業を営む北川善太郎さんという方の話として、載っていた記事です。

八幡の梨のはなし

「八幡の梨は今も有名だが、昔は千葉県で梨の出るところは此処だけだったのですよ。
八幡の梨を初めてつくったのは、今から180年ばかり前、八幡の住人の川上善六という人だが、八幡は梨づくりには最も適した土地だったのですよ。砂地でね。私たちはこの砂地に梨の木を植えましたのが ―中略― 八幡に松の木が多いのも、梨畑の防風林のつもりで植えたのが初めでね、昔は南風が強く吹いたものですが、又そのため梨の木が他所に比べておいしい原因ともなっています。」(P49)

1896年~1909年の八幡の地図。果樹園の記号がたくさんあります。

二十世紀も八幡が発祥地

「一番うまい梨だといわれている二十世紀という梨は、松戸の覚之助という人が、60年程前に栽培して売り出したとされているけど、あの二十世紀は、もとは八幡の稲荷神社の境内に自然に生えた梨なのですよ。松戸の覚之助のお父さんがね、何といったか名前は忘れたが、その人がある年、八幡様の農具市にやってきた時、八幡の親戚の家に遊びに立ち寄った。当時、今の市役所の近くに稲荷神社があってね、その境内に色のかわった梨がなっていた。これを見たその人がね、「これは面白い梨だ」とそのなしの“ボ”をもって帰って、自分の家の梨の木についでみた。そうすると何とウマイ梨が出来てね。息子の覚之助さんの代になってから「二十世紀」という名前を付けて売り出したところ、これが大当たりー略―」(P50)

以上ですがなかなか興味深いです。

現在、二十世紀梨はこの辺ではあまり見かけませんが、九十九里海岸の辺りでは栽培されています。
西日本で栽培が盛んらしく、生産額が一番多いのは鳥取県です。

千葉県内でよく見かけるのは、幸水,豊水などの皮の赤い品種です。
千葉県は栽培面積・収穫量・産出額ともに全国第1位になっています。 

地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)から使用させていただきました。

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葛飾湧水群|千葉県船橋市の湧水

千葉県船橋市の西船を中心とした地区には、小さな池がいくつか見られます。これらは葛飾湧水群といわれています。

葛飾神社の池(西船5丁目)
住宅地の中のささやかな池。
国道14号の競馬場入り口のバス停があるあたりから細い道を南に下ったところにあります。

二子裏の池(東中山1丁目)
国道14号沿いの東中山児童公園から少し西へ行ったところにある池。

二子藤の池(東中山1丁目)

多聞寺の国道14号をはさんだ向い側にある池。

以上は国道14号沿いにある湧水池です。

このほか国道14号の北側にゲエロの池(印内1丁目)、葛羅の井(西船6丁目)があります。

船橋市は、環境にやさしいまちづくりのモデル事業として、これらの池の整備に取り組んでおり、保存会や町内会、神社などが維持管理にあたっています。

都市化によって姿を消した湧水池もあったようで、西船5丁目にある勝間田公園はもとは勝間田の池といい、葛飾川の谷の出口にあった湧水池だったそうです。
ちなみにこの葛飾川は現在では暗渠化しています。

【このあたりに湧水が多い理由です】

湧水とは地下から湧き出した水のことですが、どこからでも湧き出すわけではありません。
湧水はほとんどの場合、台地の周縁に沿って湧き出します。

湧水があるためには、以下の条件が必要だからです。

・雨水が台地の地面にしみ込むこと。
・しみ込んだ雨水が地下水として地中に貯えられること。
・地下水が地表に現れるための出口があること。

船橋は市の北部に台地が広がっていて、ちょうど西船の辺りが台地の辺縁にあたるようです。

と、ここまで読んできて、台地の都市化が進んだ今でも、きちんと水が湧いているのか疑問に思いませんでしたか?私は疑問でした。

地元の史跡に詳しい人の話では、「少しかもしれないが水は湧いているのだろうと思う。例えば(葛飾湧水群の一つ)ゲエロの池はとても小さいのに日照りが続いても水が枯れないから。」ということでした。

参考:宮原武夫 船橋の歴史散歩
   船橋市観光協会
   市立市川自然博物館 市川自然博物館だより 12・1月号  1998年1月10日発行

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京成線の「京成西船駅」が「葛飾駅」だったこと|船橋市西船

現在の京成線西船駅は、昭和62年までは「葛飾」(かつしか)」という駅名でした。大正5年に駅が開設された当時のこの辺りの地名が「葛飾村」だったからです。

【葛飾って東京都の地名ではないのか?】

たしかに寅さんで有名な柴又は葛飾区ですが・・・。
葛飾は万葉集にもみられる古い地名で、現在の東京都、千葉県、埼玉県、茨城県にまたがる地域だったそうです。

それが17世紀頃に、下総国葛飾郡(主に千葉県の辺り)と武蔵国葛飾郡(主に東京、埼玉)に別れ、さらに明治11年に、東葛飾郡、北葛飾郡など幾つかに分かれたそうです。

国道14号沿いの葛飾神社。

葛飾郡の総社として一千年の歴史があるそうです。

【西船駅周辺の地名の大まかな変遷です】

●明治11年、郡区町村編制法施行により、東葛飾郡を設置。
現在の市川市、松戸市、野田市、流山市、浦安市の全域と船橋市、柏市の一部や鎌ヶ谷市、埼玉、茨城の一部までを含んだ部分が東葛飾郡という行政区画になった。

●明治22年、町村制施行。
西海神、山野、印内、古作、寺内、本郷、二子、小栗原の八村が合併して「葛飾村」になる。

●昭和6年「葛飾村」が「葛飾町」になる。

●昭和12年、葛飾町、船橋町、八栄村、法典村、塚田村が合併して「船橋市」になる。

●昭和41~42年、「西船」誕生。
住居表示の変更があり、西船1丁目から西船7丁目が誕生しました。
京成西船駅(旧葛飾駅)の住所は葛飾町2丁目でしたが、昭和42年6月の町名変更で、西船4丁目になりました。

それから20年後の昭和62年。
西船という地名が浸透してきたため、「葛飾駅」も「京成西船駅」と改称されたそうです。

【東葛飾のその後】

平成17年3月28日、東葛飾郡沼南町が柏市に編入されたため、東葛飾郡は消滅しました。

JR総武線西船橋駅の南側には今でも「葛飾町」という町名が残っています。

東葛飾郡(だった場所)の南部は現在でも葛南と呼ばれることがあります。
松戸市の辺りは東葛と呼ばれることがあります。

(ブログを書くにあたって、西船駅上りホームの案内板「葛飾の地名とその由来」及び船橋のホームページを参考にさせていただきました。)

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小栗原城址|千葉県船橋市本中山の土の城

土の城に関する記事もいつの間にか7本目です。今度の城跡も恐ろしく地味です。

さて、京成線で成田方面に向かうとき、中山駅と東中山駅の中間の進行方向右側に、樹木が生い茂った小高い場所があって通るたびに気なっていました。なんか城址みたいだと思って。

昨年「東葛の中世城郭」という本を購入してみたら、例の気になる場所が「小栗城址」として紹介されていました。

【旧小栗原村(古くは小栗郷)の低地帯に向かって突出していた標高二十メートル前後の舌状台地先端部にあった城跡で、「城の台城」とも呼ばれている。-中略―台地南下には「城之下」という地名が残る。】(「東葛の中世城郭」P44より)

写真は台地の東側の切通しです。写真の右側が台地で、上には稲荷神社が建っています。
京成線の車窓からだと全景が見えるのですが、現地だと引きが取れなくて一部分しか写せません。

ここから南東約200メートルの場所に多聞寺というお寺があり、墓地の部分がかなりの高台になっています。

写真は多聞寺の西側から眺めです。木の茂っている場所が墓地です。

もともとは稲荷神社の高台と多聞寺の高台はつながっていて一つの城域だったそうです。
それが明治時代に旧総武鉄道や京成線の工事の際に削られてしまい、現在の形になったそうです。もともとの城域は東西約200メートル、南北約150メートルほどと推定されるそうです。

さらに前掲書によれば、多聞寺背後の台地(墓地になっている場所)の東方、東中山1丁目13番地の台地辺縁に小社や石祠が祀られている樹林の茂った一角があり、この樹林付近に遺構らしき気配が感じられるが、果たして土塁などの痕跡であるのか確定し得ないということです。

多分この場所だと思うのですが、台地に上る階段の入り口が閉ざされていて、上に上ることはできませんでした。

この近くの三峰社にも遺構らしきものあるということで、虎口に設けられた櫓台の跡かもしれないそうですが、残念ながら今回その神社を見つけることが出来ませんでした。

これでおしまいです。わかりやすい写真が撮れなくて心残りです。

現地へは京成線東中山駅から歩いて行けますが、台地以外に見るべき遺構はありませんのであしからず。

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「第2回フォトロゲinいちかわ」に参加しました

この前の日曜日(5月28日)に「第2回フォトロゲinいちかわ」に参加しました
フォトロゲ(フォトロゲイニング)とは、制限時間内に地図に記されたチェックポイントを回って得点を競うゲームです。チェックポイントでは、主催者から渡された見本と同じ写真を撮って通過証明にします。
オリエンテーリングに似ていますが、違うのはチェックポイントを全部回る必要がないこと、回る順番も決められていないことです。
また、走っても歩いてもよく、今回は電車とバスの利用もOKでした。


主催者から渡される地図です。
赤マルで囲まれた場所の中心にチェックポイントがあります。
数字は得点です。
スタート地点から遠い場所や、探すのが難しい場所ほど高得点です。


主催者から渡されるチェックポイント一覧。この見本通りの写真を撮ります。

ちなみに私はフォトロゲ初参加です。こんな一日でした。

朝9時、スタートおよびゴール地点の千葉商科大学の学食に到着。学生さんたちに笑顔で迎えられ、受付で参加費1500円を払うと、地図、チェックポイント一覧、ルール説明書、得点集計&アンケート用紙などが渡されました。
空いている席に座って、どこをどんな順番で回るか作戦を立てます。
チームや親子、夫婦で参加の人も多くて、ルートについて熱心に議論している方々も。
9時10分からルールや注意事項の説明があり、9時半ごろから準備のできた人から順次スタート。
小さい子供のいる家族連れは歩いて、入賞を狙っていそうなランニングウエアに身を包んだ人たちは走ってスタートです。
私は9時35分に歩いてスタートしました。

まず商科大の近くの芳澤ガーデンギャラリー須和田公園で合計58点ゲット。真間のつぎはしで13点ゲットして南に向かいます。市川真間駅の南の百姓s’cafe、からHaus Von Frau Kurosawaを通ってアイリンクタウンの展望台へ行きます。ここは目立つ建物なのに63点も貰えるのです。はずせません。45階に上がってチェックポイントに指定されたパネルを撮影。
さらに南下して麻生コーヒー店の看板を撮影して40点獲得。64点の大洲防災公園に向かいましたが、ここでチェックポイントの説明版を探すのに時間がかかってしまいました。その後、約2キロ離れたドルチア本八幡店に向かう途中で右足の裏にマメができて歩く速度が上がりません。本八幡に着いたときは予定よりも大分時間が経っていました。
ドルチアからコルトンプラザの近くのおりひめ神社に行く途中では左足の裏にもマメができて痛い痛い。コルトンからサイゼリヤ1号店八幡様の大イチョウ等へ行き、予定ではここから京成線で中山へ行って70点台のポイントを4か所回るつもりでしたが、時間が足りなそう。何よりマメが痛い(多分マメがつぶれている)ので断念して、京成八幡から電車で市川真間に戻りました。
市川真間駅からは、痛む足をかばってゾンビのような歩き方になりながら千葉商科大に向かい制限時間の5分前にゴールしました。最初に考えていたほどは回れなく、あっという間の3時間でした。

ゴール後に得点を集計して係の人に渡すと、引き換えに食事券がもらえました。
得点上位の人はチェックポイントの写真の提示を求められますが、私は511点で写真の提示は求められませんでした。
お昼はチキン南蛮をいただきました。
食事後しばらくすると1位から3位までと、200点台、300点台、400点台のニアピン賞の人の表彰が始まりました。

今回、競技エリアは市川市の北部で、東西約5キロ、南北約6キロの地域に41か所のチェックポイントがあり、全部で2017点になります。優勝した方は1768点で30キロくらい移動したそうです。2位と3位の方は1600点台でした。

この企画は千葉商科大の学生が企画運営したそうです。テーマは市川のグルメとバラの花らしく、バラが見頃の里見公園や須和田公園などがルートに入っていました。私は芳澤ガーデンギャラリーの庭が気に入ったので、今度ゆっくり見に行きたいと思います。

スタートとゴールに使われた学食「The University DINING」は「木漏れ日のような優しい光に包まれた空間」という建築コンセプトそのままの、非常に気持ちのいい場所です。早稲田大学学食研究会のランキング1位だとか。学生以外も利用できるそうです。

この競技、走力はあるに越したことはないと思いますが、市街地なのでそれほど速度は出せません。地図読みが正確だとか、ルート設定が巧みだとかの要素もあるので誰でも楽しめると思いました。

競技も楽しいし(個人的には、ルートを考えるところに戦略性があってそれが面白い)、学食も気に入ったので、次回あったらまた参加したいです。

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船橋市地方卸売市場と船橋城址|千葉県船橋市市場一丁目8-1

【船橋市地方卸売市場に行ってみました。築地みたいに一般向けのお店はあるのかな?】

前から気になっていた船橋市地方卸売市場(平成26年3月までは中央卸売市場)へ行ってきました。

一般客も利用できます。私は北口から入ったのですが、ガードマンのおじさんが親切に、一般向けのお店がある場所を教えてくれました。さらに場内でキョロキョロしていたら駐車場の係の人がやはり親切に道を教えてくれました。

【正門から入りましょう】
一般向けの店舗や食堂は、正門を入って左手に郵便局を見ながら進んだ場所にあります。
場内は広いので、私のように別の入り口から入ると、苦労します。

【一般向けの店舗はこんな感じです】

関連事業者店舗棟という2階建ての建物の1階部分がお店と食堂になっています。
土地柄か、海苔を扱うお店が多かったです。
その他には、乾物、漬物、精肉、お茶、鰹節、鶏卵、包装資材、履物衣料など。
飲食店は、づけ丼や海鮮丼、煮魚の定食を提供している、いかにも「市場の食堂」なお店のほか、洋食や中華、なぜかインドカレーの店も。
気になるお値段は、800円~1000円前後というところでしょうか。

私は「市場カフェ」というお店でアイスコーヒーとホットドッグをいただきました。アイスコーヒーがとても美味しかったです。

【混んでいるの?】
私が行ったのは月曜日の10時半頃ですが、場内に人影はまばらでした。築地のような賑わいを想像していくと、少し寂しさを感じてしまうかもしれません。

【市場の真ん中を川が流れている】
敷地内を海老川が横切っていて、ジョギング中の人やママチャリで移動中の人とすれ違いました。正門や北門を通らなくても、川沿いに入れちゃうのです。

【船橋城址といわれている】
市場に隣接するアパートの辺りから正門を入ってすぐの駐車場までの一帯は、船橋城址であったと伝えられている場所です。
古くはこの地に植えられた松を「城の腰松」と呼んでいたそうです。
このページのトップの写真で木が茂っているあたりが、城の腰松があった場所だそうですが、今は飛行機工場の爆発事故の鎮魂碑と「将門の松」という石碑があるだけです。

*船橋市地方卸売市場は最初、船橋市中央卸売市場として始まりましたが、平成26年4月1日から地方卸売市場に転換しました。過去の書籍やネットの記事に中央卸売市場となっているのはそのためです。

参考
千野原靖方「東葛の中世城郭」崙書房出版2004年
船橋市ホームページ

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市川市の暗渠・平川用水路|千葉県市川市

【「暗渠サイン」とは】
「暗渠マニアック!」という本によると、ある道路が暗渠かどうか見分ける目印として、「暗渠サイン」というものが紹介されています。その中から3つほど紹介すると。

・車止めがある(暗渠の蓋は重量物に弱いので)
・近くに銭湯など大量の水を扱う施設がある
・行政境界である(水路を境にして区分けされることがあるので)

さて、上の条件に当てはまる道が市川市国分3・4丁目と国府台1丁目・真間5丁目の境にあります。
じゅんさい池公園から南南東へ延びる3本の道のうち、真ん中の道で、県道264号線まで約1500m続きます。

県道264号に交わる場所。向こうに伸びている道が元の平川用水路。この辺りは車が通れる。

車が通れない区間。下に下水道が通っている様子。

【昔この道は用水路でした】
この道は、暗渠です。
私が初めてこの道を見た四十数年前、ここは道ではなく、広~い田園地帯を横切る一本の用水路でした。名前は平川用水路といいます。
このあたりは二つの丘陵に囲まれたいわゆる「谷地」という地形で、その真ん中をじゅんさい池から国分川に向かって平川用水路が流れていました。

【いつから暗渠になったのか】
用水路の国分川に近い場所は、早くから宅地化して用水路も暗渠になってしまったのですが、じゅんさい池に近い方は80年代末頃まで暗渠化を免れていました。用水路の周りには畑が広がって、春にはヒバリが囀っているのどかな場所だったのですが。(懐かしい)
でも、ある時気が付いたら普通の道になっていました。いつの間に…。最近になってすごく気になりだし、図書館で昔の地形図等を調べてみました。

自分の記憶では1982年までは用水路があったので、1985年発行の市川市都市計画図を見てみたら、既に用水路はない。

念のため1981年の国土地理院地形図を見ると、用水路の場所は細い黒線になっていて、これは幅1.5~2.5m未満の道路を表しているのですが、まだ暗渠化していない用水路の脇の小道を表しているのではないかと思います。

同じ場所が1990年発行の地形図では2本の実線で表されていて、これは幅3.0~5.5m未満の道路を表すので、もう暗渠化して立派な道路になったということですね。

図書館の地図コーナーからはこれ以上の情報はわかりませんでした。

畑だった場所も、今ではすっかり住宅地に変わりました。用水路も暗渠というよりは立派な道路になっているので、暗渠マニアには物足りないかもしれません。

じゅんさい池を背にして元の平川用水路を見る。

上の写真の撮影地点の近くに江戸時代の庚申塔があった。

【平川用水路はいつできた?】
ところで、明治時代の地図「関東平野迅速測図」(1880-1886)を眺めていたら、平川用水路が載っていないことに気が付きました。(他の水路等は記載されている)今度はいつ頃この用水路が作られたのかが気になっています。

参考図書: 吉村生, 高山英男「暗渠マニアック! 」2015柏書房

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許可が必要な仕事、許可が要らない仕事

最近、「個人で商売するのに許可が必要な仕事があるのはなぜなの?」をいうご質問を受けたので、ざっくりと説明したいと思います。

雑貨屋さんや、本屋さんを始めるときは、商品を並べるスペースを、借りるか何かして準備したら、あとは商品を並べてお客さんが来るのを待ちますよね。誰かに許可をもらったり、どこかに届け出たりはしませんね。

その一方で、許可や届出が必要な商売があります。

たとえば、不動産屋さんはお店の所在地の知事の免許が必要です。(国土交通大臣免許が必要になる場合もあります。)

建設業者で500万円以上の工事を請け負う人も、本店所在地の知事免許が必要です。(こっちも国土交通大臣の許可が必要な場合があります。)

住宅は大変高価な買い物ですし、建築物はきちんと造らないと危険、ということで、それぞれ信頼のおける業者や、きちんとした技術のある人しかやっちゃいけませんよ、という意味で免許や許可が必要なのだと思います。

建設業法の第1条には「建設工事の適正な施工を確保し、発注者を保護する」という文言があります。
宅建業法の第1条にも「購入者等の利益の保護」という文言があります。

キャバクラを営業する時も、許可が必要です。
こちらはお店のある場所の都道府県公安委員会の許可です。
許可の目的は
「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止」
「風俗営業の健全化に資するため、その業務の適正化を促進」(どちらも風営法第1条)
です。
風営法のもともとの目的は、売春の防止ですので経営者の履歴のほかに、店内の明るさや見通しのよさがチェックされます。また、学校や福祉施設の近くでは営業できません。

ちなみに、キャバクラを営業するなら、飲食店の営業許可も必要です。飲食物を提供するお店が不衛生だといけませんからね。

ところで、許可をもらうには、様々な要件をクリアしなければいけません。許可の種類よって異なりますが、以下のようなものです。

  • 許可を受けようとする人に十分な技術があるか、犯罪歴はないか、など
  • 営業するために必要なお金を持っているか
  • その営業を、その場所でやってよいか
  • その営業をするのに、十分な設備があるか
  • などなど。

この要件をクリアできなくて、許可を諦めることは、結構あります。なお、要件を満たさず、許可をもらうことができないことが明らかである場合は、許可をもらうための「申請書の提出」を止めておくのが普通です。

最後に、許可の必要な仕事を、もう一つご紹介しておきます。
それは古物商許可。興味のある方が多いようで、頻繁に聞かれます。

古本屋さんや中古ゲームソフト屋さん、古着屋さんなどは古物商許可が必要です。

「新刊書を売る店は許可が要らないのに何で?」と思いますよね。
古物商許可の目的は

「盗品等の売買の防止、速やかな発見等を図るため」
「窃盗その他の犯罪の防止を図り、及びその被害の迅速な回復に資する」(それぞれ古物営業第1条)
なんです。

古物商には法律で、古物を買い取るときには相手方の住所、氏名、職業及び年齢を確認することが義務づけられています。盗品が売りさばかれるのを防ぐためですね。
(ただし買い取り価格が一万円以下の場合は確認不要です。)

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