向島百花園|植物好きにお勧めの都立庭園

向島百花園は、都内に九つある都立庭園のうちの一つです。
庭園といっても刈り込んだ植木や庭石からできている日本庭園とは趣がちがって、名前のごとく植物園のようなものです。

豊かに茂った樹木の間を小径が通り、日本や中国の古典に詠まれている草花が植えられています。
また、随所に29の句碑や石柱が建てられています。

私が行った時期はキキョウとアジサイくらいしか咲いていなかったのですが、パンフレットによれば、1月のスイセンから始まってフクジュソウ、梅、キブシ、ミツマタ、カタクリ、桜、イカリソウ、ヒトリシズカ、アヤメ、藤、エビネ、コンニャクなどが春の花として見られ、梅雨の時期から晩秋にかけては、秋の七草をはじめとする多くの野の花が見られるそうです。

園内はそれほど広くないのですが、ベンチがたくさん置かれているので木や花を眺めながらゆったりと過ごせます。

藤棚と思ってよく見たら、アケビの棚。

このほか、クズ(河川敷に蔓延るごくありふれた雑草)が棚に仕立てられていたのが珍しかったです。花の時期に来てみたい。

木の向こうにスカイツリーや近所の建物が見えます。都会のオアシスです。
この日は暑かったのですが、園内は木が多いせいであまり暑さを感じませんでした。

【由来】
江戸時代に佐原鞠塢という骨董商が、花の咲く草木鑑賞を中心とした花園として開園したのが始まりだそうです。
その後は洪水や関東大震災などで荒れ果てていた時期もありましたが、昭和13年に東京都に寄付され、翌14年から公開されました。
昭和53年には国の名勝及び史跡に指定を受けました。

【住所】
東京都墨田区東向島3-18-3

【最寄り駅】
東武伊勢崎線「東向島」下車 徒歩8分
京成押上線「京成曳舟」下車 徒歩13分
都営バス 亀戸-日暮里(里22)「百花園前」下車 徒歩3分

明治通りから横道へ入っていくのですが、明治通りに何か所か案内板があるので迷うことはないと思います。

【開園時間その他】
開園時間 午前9時~午後5時(入園は4時30分まで)
休園日 12月29日~1月3日
入園料 150円 (65歳以上 70円)
    年間パスポート 600円 (65歳以上 280円)
    都民の日(10月1日)は無料公開日
園内に売店とお手洗いがあります。

【大朝顔展】
7月29日(日)~8月5日(日) 8時~12時
地元の「墨田朝顔愛好会」の方々が丹精込めて育てた直径20センチの大輪朝顔が500鉢展示されるそうです。
午後には萎んだ花は摘み取られてしまうので早めに来て下さいとのこと。
期間中は普段より1時間早く開園するそうです。

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『プリズナートレーニング』をやってみて思ったこと

私(行政書士2号)は腕立て伏せが続けて5回くらいしかできませんでした。1セット5回で2セットがやっとです。肘と肩が痛いのです。

斜め腕立て伏せ(テーブルなどに手をついて行うやつ)をやってみても15レップス(15回のこと)くらいで肩が痛くなっていました。2~3年前の話です。

で、長いこと腕立て伏せをしていなかったので、去年あたりは、もう、斜め腕立て伏せすらも10レップスがせいぜい。

ところが、先日どこも痛くならずに斜め腕立て伏せ20レップス2セット(以降20×2と表示します)ができました。

『プリズナートレーニング』という本に基づいて、週1回、10×2の壁腕立て伏せから始めて、半年間かけて回数を増やしていったのです。

この本によれば

  • 筋肉の発達する速度に比べ関節と腱の発達は遅い
  • ゆえに筋発達を急ぎ過ぎると筋力に関節や腱が耐えられずに故障する
  • ごく簡単な動きから初めて少しづつ高度化していけば筋肉とともに関節と腱も強く健全に発達していく

それで私の肩も痛くならなかったのでしょうか。

個人的にとても興味深かったことがあります。

  • 週1回しかトレーニングしていないのに筋力が向上した。(一般に週1では不十分といわれている)
  • 多レップスでは筋持久力は付くが、筋力は付かないといわれている。しかしそんなことはなかった。

実はこのトレーニング法で一番びっくりしたのは上記の2点です。

始めたのは去年の10月25日。
こんな感じで進みました。

—まずは壁腕立て伏せで50×3出来るようにします。———-
丁寧な動きでゆっくりやります。

10/25 10×2
10/30 10×3
11/07 20×2
中略
12/25 30×3  →ぬるい運動でも回数をこなすのは結構大変
01/09 50×2
中略
02/05 50×3

—ここから斜め腕立て伏せに移行します——————–

02/11 10×2  →いきなり10×2。楽にこなせた。
02/19 10×1  →この週は疲れていたので1セットだけ
02/26 10×3

ここから20×2を目指すのですが、まず10×4で合計40レップスできるようにします。
(これは昔ネットでみた方法。少ないレップス数に分割して徐々に続けてできるようにする)

03/05 10×4
中略
04/03 13×3  →1セット当たりのレップス数を増やしていった
中略
04/23 13×1、20×1、7×1  →1セットだけ20レップスできた
05/08 20×2  できた!肩も肘も大丈夫!

——————————————————-

このトレーニングの最終目標はなんと、片手で腕立て伏せができるようになること(!!!)です。

繰り返しになりますが、壁立て伏せのような緩ーい運動でも50×3(合計150レップス)くらいやれば筋力が付くのですね。
今までの自分の知識と余りのにも違うので驚いています。

参考:ポール・ウェイド 山田雅久 訳 『圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ プリズナートレーニング』          2017年 (株)CCC メディアハウス

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足尾銅山・廃墟・社宅跡に行ってきた|廃墟マニアには有名な場所?

市川から日帰りで足尾(栃木県日光市)に行ってきた。

あの、足尾銅山の観光用に整備されている坑道と、廃墟群を見てきた。

鉱山というと坑道で鉱石を採掘する光景ばかり思い浮かぶが、鉱石を精錬するための設備も必要だし、そこで働く人々や家族のための社宅なども必要で、銅山が閉山したのちこれらが廃墟となって足尾の町のあちらこちらに点在しているのである。

などということは、実は足尾に着いてから初めて知ったことで、よくわからないまま廃墟好きな人に誘われて行ってびっくりな場所だった。

まずは「足尾銅山観光」という昭和の香りたっぷりな施設に行った。

チケット販売所で入場券を買い、トロッコで坑道に入るが、トロッコからはすぐに下りて自分で歩いて見学する。
坑道には江戸時代から昭和までの採鉱の様子が人形で再現されている。なんとなく知っている光景である。

しかし、やはり行ってみなければわからないなと感じたのが、水。
地下水がそれはもう大量にしたたり落ちてくる。私のスマホは防水ではないので怖くて使えない。仕方なく10年前に買った防水のデジカメで写真を撮ったが、このカメラ、薄暗い場所は苦手のようでろくな写真が撮れなかった。
江戸時代はこの大量の地下水を人の手で外に汲みだしたという。

湿気で体を壊す人もいたのじゃないかと思った。

坑道から出ると資料館とお土産物屋さんとレストランがあった。
資料館は古びてはいるが説明がきちんと書かれていて好印象。
お土産物屋さんとレストランは、ザ・昭和な雰囲気がマニアに喜ばれそう。
この施設は昭和55年開業だそうだけど、そのころの観光地の雰囲気そのままだった。
変にリニューアルしたりしないで頑張って欲しい。

次は廃墟巡り。

足尾銅山観光の敷地の隣に、かつて発電所と変電所だった建物があって、これは後でわかったのだが有名な廃墟だった。昔書かれたブログなどを見ると、廃墟の中に入れた時代もあったようだが、今は外から見るだけ。

今の時期、新緑が目にまぶしく、役目を終えた建築物と木々の若芽の対比が美しかった。

社宅跡にも行ってみた。

社宅跡は足尾に何か所もあって、土台の石垣しか残っていないものもあるし、きちんと手入れがされて今も人が住んでいるものもある。
現代の社宅と違って平屋の長屋風の建物である。
風と書いたのはなんとなくそんな感じがしたからで、一棟に一家族なのかもっとたくさん住んでいたのかは見ただけではわからなかったから。
建物の壁は北国でよくみられる木を横に打ち付けた壁(なんていう名前なんだろう)で、屋根はトタン。
トイレは共同で、建物と建物の間の空き地にトイレだけの建物が建っていた。今でも使われているらしくきれいに手入れされていた。しかし、後からトイレを付け足したらしい社宅もある。(建て増ししたような部分にベンチレーションが立っているのでわかる。)

防火水槽という標識が立っていた、巨大水槽

いい感じに古びている

数件おきにレンガ製の防火壁が建てられていた。他の地区の社宅にもあった。社宅が消滅して防火壁だけが残っている地区もあった。

今回じっくり見てまわった社宅は中才社宅跡というが、今も人が住んでいるものだった。
板張りの平屋の屋外にコンクリの流し台があったり、郵便受けが木製だったり、やはり木製の牛乳箱があり、窓の格子も木製で、戦前の建物ってこうだったような気がする。私は戦後生まれだけど、子どもの頃まだこんな家があった気がする。

すごくレトロな佇まいに心を打たれたが、他人の家なので写真は載せないでおく。
住人がいたら一言おことわりしてから撮りたかったのだが、人が住んでいるのは確かなのに人の気配がしなかった。
昭和初期にタイムスリップしたかのような異空間だった。

ところで、足尾銅山観光の隣に日光市観光協会足尾案内所があって、そこに置いてあった地図「足尾まち歩き」が大変わかりやすかった。というか、この地図がなかったら見逃してしまう廃墟(地図では廃墟なんて言わずに○○跡と表示している)がたくさんあったはず。

地図によれば、足尾の観光名所は「小滝抗エリア」「本山抗エリア」「松木エリア」「東部エリア」に分かれている。

発電所跡と社宅を歩いて見た後は、最も○○跡が多い「小滝抗エリア」を車で移動しながら見学した。

庚申川に沿った長さ6.5キロの道で反対側は山の斜面が続いていて平たい場所はあまりない。
この地区にかつては精錬所、商店、飲み屋、回り舞台付きの劇場、、小学校などがあって、一万人以上の人が暮らす一つの町がつくられていたというが、残っているものはごく僅かだった。

小滝選鉱所跡と精錬所跡は山の斜面に石垣、レンガ、コンクリートの壁が残っているが、森に帰りつつある。

石垣の部分だけ見ると戦国の城のようだった。写真はコンクリとレンガが多く残っている場所。

エリアにお奥のほうにも社宅跡があるが、すでに上屋はなく土台に石垣が残るだけだった。

わずかに残っている土台も、林の中に埋もれつつある。山を開いてつくった町が、山に帰っていく。

現地の案内板の写真

今はこのような、カラマツ林。

土台ばかりではなく、坑口や共同浴場跡など他にもたくさんの「○○跡」があった。

写真は小滝抗口

市川の自宅を朝の6時に出てここまで見てきて午後3時を過ぎた。

この後私たちは「本山抗エリア」の廃墟たちを駆け足で車の中から見て、帰途に着いた。
「本山精錬所跡」や「精錬所大煙突」など、「小滝抗エリア」とはまた違った感じの建物を見ることができた。

夏は木が邪魔をして廃墟見物には不向きなので、次の秋にこのエリアを含む残りの場所をじっくり訪ねることにしている。

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鷹取山ハイキング|神武寺駅から鷹取山へ登ってきた

地元市川から手軽に行ける低山、横須賀市の鷹取山に行ってきた。
市川からJR総武横須賀線と京急線に乗って約2時間。
ごつごつした岩場の様子から”湘南妙義”の異名もある山で、ちょっとした鎖場もある。

京急の神武寺駅からのルートと、横須賀線の東逗子からのルートがあるが、今回は神武寺駅ルートで行った。
このルートは、前半は小さなせせらぎのある谷あいの道を通り、後半は尾根道を歩く。

神武寺駅を出て、県道226号を左に進み、逗子中学校のグラウンドの角で右折すると鷹取山ハイキングコースが始まる。小さい案内板も出ている。最初は舗装路だが、少し進むと老人ホームがあり、そのあたりから本格的な山道になる。
鷹取山は、明治から昭和の初期にかけて石材を採取していた山で、山道に入ってすぐに石切り場の跡が出てくる。

渓流沿いの道は樫の木などの常緑樹に覆われて薄暗く、苔むした岩がゴロゴロしていたり、大きなシダが群生していたりする。鎌倉に行った時も思ったのだが、三浦半島って、町のすぐ脇がいきなり山になっている。
しばらく谷沿いの道を進んだあと、山腹の急坂を登って尾根道に出るとやがて神武寺に着く。本堂らしき建物が尾根道から木々の間を通してひっそりと建っているのが見えた。残念ながら一般客は立ち入れなかった。薬師堂とその周辺はお参りできた。
薬師堂の左脇の石段を登ってハイキングを続ける。神武寺までは木に覆われた湿っぽい道だったが、このあたりから乾いた尾根道が続く。展望も次第に開けてきた。

こんな場所をすり抜けていく

鷹取山が近づくにつれて、露岩が多くなってきたと思っていたら、鎖場が現れた。子どもでも十分通れる程度だがやっぱり楽しい。ついつい写真撮影も夢中になってしまう。

ゴール地点の鷹取山は、高さは139メートルしかないものの、石を切り出した後の垂直に切り立った岩場が点在する面白い光景。この辺一帯は鷹取山公園として横須賀市が整備する公園になっている。
公園には展望台があって、雪を頂いた丹沢や富士山のほか、江の島や伊豆半島や房総半島も見えた。
そして、目を引いたのがクライミングをしている人たち。低い岩ではボルダリングを楽しむ人たちがいた。ボルダリングジムよりずっと空いているし、青空の下で登るのは気持ちよさそう。いいなぁ。
あとで調べてみたら、ここはクライミングやボルダリングのゲレンデとしてかなり有名な場所だそうだ。

展望台とクライミングをしている人々

様々な高さの岩かそびえている。岩に開いた穴はクライミング用の楔の穴だそう。

展望台のある場所から少し離れたところに摩崖仏がある。きれいなお顔立ちの仏像でかなり大きい。横須賀市在住の彫刻家、藤島茂氏が昭和35年から約1年かけて製作したもので、弥勒菩薩だそう。

公園の中心部からはずれた場所にも、所々、林の間に石切り場跡が残っている。中にはまるで遺跡のようなものもあった。

帰り道は、予定していた京急田浦への道が通行止めになっていたので、追浜駅から帰った。やはり2時間くらいで帰れた。
ガイドブックではルートタイムが2時間(5.1Km)だったが、あちこちで写真を撮りながら歩いていたので4時間くらいかかったが、まだ明るいうちに家に着いた。

ご注意
鷹取山でクライミングやボルダリングをする人は鷹取山安全登山協議会への登録が必要です。
神奈川県山岳連盟ホームページで登録用紙がダウンロードできます。

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市川城跡は里見公園ではなく真間山だという説もあります

市川市内で有名な中世城郭跡としては、国府台城跡があります。

時代小説では国府台城を市川城と呼んでいる場合もあり、2つの城は同じものとして扱われています。

しかし、中世東国史の専門家である千野原靖方氏は著書「東葛の中世城郭」の中で、市川城と国府台城を別のものと考え、市川城が「弘法寺の道場・宗教施設があった砂州上に存在したかあるいは(中略)弘法寺敷地を含む真間の台地上にあったと思われる。いずれにしても、同寺施設を利用した城であったことが推定される」と述べています。

【弘法寺のロケーション】

市川市の国府台から東南へ延びる舌状台地南部の辺縁地域に位置しています。
南北約150メートル、東西約500メートル。比高は15メートルから17メートルです。

【土塁と切通し】

仁王門に向かって右手(東の方向)に盛り土があり、鐘撞堂が建っています。
盛り土は東に向かって約40メートルほどのびており土塁状になっています。

土塁の上、鐘撞堂を背に東方を見たところ

本堂の右手奥にも盛り土があります。前掲書によればこの盛り土は東西に走っていることになっており、私自身の記憶でもその通りなのですが、今回見に行った時は、かなりの部分が削られてしまっていました。

県道1号線から弘法寺へ向かう道は深い切通しの道になっています。
前掲書では「この道は、台地主体部から断ち切った大堀切のような形態」と表現されています。

千野原氏によれば「市川城は、真間山弘法寺敷地内の土塁・盛り土などで囲まれた施設を中心として、北側を土塁及び空堀・堀切で台地主体部から断ち切って築かれた寺院を要害化した宗教色の濃い城であったと推定される」そうです。

弘法寺は日蓮宗の寺院です。日蓮宗の寺院には要害としての機能・施設を備えた寺が多くみられるそうです。

ところで、先の鐘撞堂が建っている土塁ですが、地元の考古学者のうちには古墳ではないかと考える人たちもいるそうです。

現に敷地内には今でも円墳と前方後円墳が存在していますが、土塁を作るときにこのような元からあった古墳を利用した可能性も考えられるとのことです。

真間山 弘法寺 住所 千葉県市川市真間4-9-1
JR市川駅より   徒歩20分    
京成市川真間より 徒歩15分
京成国府台駅より 徒歩10分

参考 : 千野原靖方 「東葛の中世城郭」 崙書房出版 2004年

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鎌倉アルプス・獅子舞の谷から天園ハイキングコース

林の中を、せせらぎの音を聞いたり、鳥のさえずりに耳を傾けたりしながら、自分のペースでゆったり歩く。楽しいですよね。

山がちな日本では、森林は山地にあるもの。ですが、私は自然を楽しみたいだけなのです。坂道は登りたくないのです。
そんな自分におあつらえ向きのハイキングコースがありました。

鎌倉アルプス。
鎌倉市街を取り囲む丘陵の最も高い部分、建長寺から瑞泉寺にかけての尾根道を行くハイキングコースです。別名天園ハイキングコース。

コースタイムは約2時間から3時間。ガイドブックによってコースが多少異なっているのですが、長くても3時間台だと思います。
有難いのは、標高が最も高いところでも約159メートルということ。坂道をゼイゼイしながら歩かなくても、豊かな自然を満喫できます。

装備もガチでなくても大丈夫。ただ、不安定な岩場を何度も通過するので、捻挫グセのある人はハイカットのトレッキングシューズをはいたほうがいいかもしれません。
この間行った朝比奈切通しと違い、道標も整備されていました。

ガイドブックなどを見ると、丘陵を西から東に向かうのが一般的なようですが、今回は獅子舞の谷を登って尾根に合流し、東から西へ向かって歩いてきました。

このコースの中では、獅子舞の谷が一番気に入りました。歩き始めは、二階川に沿って谷あいの道を行く、沢登りのような小道。周りを鬱蒼とした木々に囲まれた谷筋の道です。

やがて開けた場所に出ます。散り積もった落ち葉と青々とした笹の葉、すっかり落葉した木々のコントラスト。冬枯れの景色が好きな人にはきっと気に入ってもらえる風景です。

二階川の源流を見ることもできます。

このまま登ると鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)に合流します。
バラエティに富んだ道で楽しいです。
ロープを伝う場所もあります。(高さは2メーターもなさそうでしたが)

獅子舞の谷は、紅葉の時期は混み合うらしいのですが、私の行った時期は人も少なくて静かな山歩きを楽しめました。

行き方
ネットなどでは、JR鎌倉駅よりバス大塔宮行 「大塔宮」下車とありますが、鎌倉駅から徒歩で行けます。バス通りに沿って歩いて「大宮塔」まで来たら、瑞泉寺方面へ歩いて行きます(注:あくまで方面です。瑞泉寺に着いてしまったら行きすぎです)。永福寺跡(公園になっています)の先を曲がって住宅地へ入ると、変電施設がありその先から沢筋の道が始まります。
といっても、入り口までは実はとてもわかり難いので、スマホの地図アプリの活用をお勧めします。電波は届きます。
入り口までたどり着けば後は一本道なので迷うことはないと思います。

入り口付近の景色

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八王子城に行ってきました|東京都八王子市の土の城

土の城シリーズの9回目は、初めての山城です。ちょっと足をのばして国史跡八王子城を見てきました。

この城の本丸跡は標高446メートル。
高尾駅から八王子城の管理棟までは舗装路ですが、管理棟を過ぎると登山口(?)のような場所があり、結構急な山道(もちろん未舗装)が始まります。
本丸跡までは40~50分です。

ルートは2種類あって、行きは古道を通りました。
古道は山腹につけられた道で、まわりは杉林が鬱蒼と茂って薄暗く、道幅は一人分しかありません。その道もⅤ字型に深くえぐれていて、補修のために丸太や大き目の石が敷かれていますが、丸太が滑ったり、石で足首を捻りそうになりました。

歩き始めてすぐのところで、ボランティアガイドさんに出会ったのですが、「上まで行くの?大変だよ。登るのもだけど、下りが大変だよ。」といわれました。
その方は、真っ直ぐな木の枝を杖代わりにしていたので、私も真似して道の脇に立てかけてあった竹の棒を使わせてもらいました。助かりました。(本丸で会った中高年の団体さんは皆、トレッキングポールを持っていました。)

そうして薄暗い林の斜面に付けられた急な小道を登っていくと、「金子曲輪」が現れます。
ここから別の道へも行けますが、私はまた古道に戻ってひたすら登りました。

本丸の近くになると道幅も広くなり、石段が造られている場所もありました。

そして「松木曲輪」「小宮曲輪」が現れます。

途中で八王子市内が見渡せる場所があります。

八王子神社に近いところでは道がなだらかになりますが、神社を過ぎてからもうひと登りします。
汗だくになりながら、本丸到着。

すごく狭いので、建造物などは無かったと考えられているそうです。

下りは尾根筋に付けられた道を通りました。古道よりも歩きやすい道でした。
金子曲輪から続く尾根がひな壇状になっている場所がありましたが、敵を防ぐための工夫なのだそうです。

この城は、小田原に本拠をおいた北条氏の三代目氏康の三男、北条氏照が築いた城だそうです。
天正10年(1582)頃に築城が開始されましたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、前田利家・上杉景勝の軍勢に攻められて、わずか半日で落城したそうです。
広大な城郭ですが、落城時はまだ未完成であったと考えられています。

山のふもとには虎口の跡があります。当時の石垣や石畳をなるべく利用して、できるだけ忠実に復元したそうです。これはなかなかに立派なものでした。

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鎌倉の朝比奈切通しに行ってきた

先週、朝比奈切通し、熊野神社、十二所果樹園をハイキングしてきましたが、思っていたよりも山深くて、途中あせりを感じた話です。

一番見ごたえがあった場所。横に立っている人と比べるとスケールがよくわかる。

熊野神社入り口。本殿はまだまだ先。

熊野神社

【事前の予想】
・地図やグーグルアースで場所を確認すると、切通しのある丘陵地帯の際まで住宅等が建っていたので、地元市川市でいったら小塚山程度の感覚でいた。
・有名な観光地なので、当然、道標も整備されていると思っていた。
・切通しを抜けるだけなら1時間もあればいいらしいので、そこに熊野神社や果樹園を加えても2~3時間でまわれると考えていた。
・果樹園は、展望台があるくらいだから自動販売機くらい置いてあるだろうと勝手に決めていた。
・そもそもそんなに山の中だと思わなかった。

実際は苦しい誤算と嬉しい誤算が。

【苦しい誤算】

道標は全くと言っていいほどない。特に熊野神社から果樹園に行く道は道標がない。
・果樹園近くの道はアップダウンがあって喉が渇くが、どこにも自動販売機はない。
・写真を撮りながら歩いたせいかもしれないが、3時間半以上はかかった。

【嬉しい誤算】

・すぐそこが市街地とは思えないほどの自然。バス停から10分ぐらいでこんな景色。

・果樹園も、展望が素晴らしいく、イスとテーブルがあるほかは、手つかずの自然が残されている。あそこに自販機があったら興ざめ。
・前半の沢沿いの道、熊野神社からの落ち葉を踏みしめながらの道とバラエティーに富んでいる。特に沢沿いの道はかなり珍しい景色だと思う。

この辺は両側の壁も道も石

【飲み物を持って行かなかったばかりによけいな気苦労をした】

実は私、水を持って行かなかった。2~3時間歩くだけなら普段だって水分は摂らないし、それに自販機が1台くらいはあるだろうと。

さて、熊野神社までは順調に楽しく歩いたのですが、果樹園に行くときに間違えて鉄塔の保守のための道に迷い込んで時間と体力を食われてしまった。
すると急に水を持っていないことが不安になってきて、「このまま迷い続けたら…」「脱水症になったらどうしよう」とか、はたまた昔、ハイキング仲間だった人たちから聞いた、登山中に水を飲み切ってしまった後に道に迷った話を思い出したり。(彼、彼女らは葉っぱについていた雨水を舐めて喉の渇きを癒したそうです。)
低山って周りの景色が単調だからかえって現在位置がわかり難くて、自分の脳内では完全に道迷い遭難していました。結局、連れのスマホに助けられたのですが。一人でせかせかと歩いていたら、「もっと景色を楽しもうよ(怒)」と言われてしまった。(連れは道がわかっていたらしい。)

【足元は準備万端だった】

事前の調べで、沢のような場所を歩くと知っていたので、皮革製の軽登山靴を履いていた。長年にわたってミンクオイルを塗り続けているので防水ばっちりです。布製の靴だったら辛いハイキングになったと思う。

【登山スタイルが吉】

どんな服装で行くか随分と迷ったのですが、軽登山靴、ユニクロのストレッチパンツ、ヒートテック上下、ネルシャツ、アシックスのウインドブレーカー、トレラン用の小型のリュックで行きました。
すれ違う人たちは、きちんとした登山スタイルの人が多かったです。やっぱりそうなんだ。

今回は低山歩きを舐めてはいけないという、自戒を込めた話でした。

それにしても素敵な道でした。

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小金城跡(大谷口城跡)|千葉県松戸市の土の城

千葉県松戸市にある小金城跡に行ってきました。

発掘調査によれば、県下最大級の中世城郭だったそうですが、現在は大谷口歴史公園にほんの一部の遺構が残っているだけです。

歴史公園の遠景

公園内では、土塁、虎口、障子掘、畝掘が見られます。
私は、障子堀と畝堀が見たくて訪ねたのですが…。
こんな感じで…。

障子堀

畝堀

発掘当時はこうだったようですが。

障子堀(案内板の写真)

畝堀(案内板の写真)

風雨には勝てません。

障子堀も畝堀も、堀の内部に侵入した敵の動きを封じて、弓矢などで攻撃しやすくするための障害物です。

昔、空堀というものを知ったときは、水がないならすぐ渡れるのではないか、と思ったものですが、武士は重い鎧を付けているし、堀に降りたら敵からの攻撃を遮る物もないのでそう簡単に越えられるものではないのでしょうね。。

宅地造成の際に発掘調査が行われたそうで、園内の案内板には、土塁や堀の跡を重ね合わせた空中写真が掲示されています。
9~10の曲輪がつながった形状だったと予想されています。現在の常磐線と流鉄流山線とまてばしい通りに囲まれた一帯が城域だったようです。南北約600メートル、東西約800メートルという城域は、東京ドームのグラウンドの面積と比べると約37倍の広さです。

歴史公園から西へ200メートルほどの場所には、馬屋敷跡が緑地として整備されています。

築城年はよくわかっていませんが、1500年代半ばには籠城戦に耐えられる規模になっていたようです。
城主の高城氏は秀吉の小田原攻めの際に北条方に付いたのですが、城は一戦もせずに明け渡され、建物は灰燼に帰したといわれています。

最寄り駅はJR常磐線北小金駅です。
駅の北口を出て右方向へ進み、大きな道路(まてばしい通り)に出たら左へ曲がり直進します。セブンイレブンを通り過ぎると信号があり、左に道が2本V字状に出ているので、向かって右の道に行きます。すぐに丁字路に突き当たり、正面に大勝院幼稚園が見えます。右へ曲がって3分くらいで公園の入り口が見えてきます。

参考文献
千野原靖方 東葛の中世城郭 崙書房出版 2004

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二十世紀梨発祥の地は松戸ではなく千葉県市川市八幡かもしれないというお話|千葉県は梨の産地として有名です

二十世紀梨は、松戸の覚之助という人によって栽培が始まったといわれ、千葉県松戸市二十世紀が丘梨元町には、発祥の地の記念碑まで建っています。

ところが、その二十世紀梨の苗は、市川市八幡で発見されたという興味深い記事を見つけたのでその抜粋を載せました。

昭和34年に市川毎日新聞社から発行された「市川市市制25周年記念 市川の思い出」という本の中に、農業を営む北川善太郎さんという方の話として、載っていた記事です。

八幡の梨のはなし

「八幡の梨は今も有名だが、昔は千葉県で梨の出るところは此処だけだったのですよ。
八幡の梨を初めてつくったのは、今から180年ばかり前、八幡の住人の川上善六という人だが、八幡は梨づくりには最も適した土地だったのですよ。砂地でね。私たちはこの砂地に梨の木を植えましたのが ―中略― 八幡に松の木が多いのも、梨畑の防風林のつもりで植えたのが初めでね、昔は南風が強く吹いたものですが、又そのため梨の木が他所に比べておいしい原因ともなっています。」(P49)

1896年~1909年の八幡の地図。果樹園の記号がたくさんあります。

二十世紀も八幡が発祥地

「一番うまい梨だといわれている二十世紀という梨は、松戸の覚之助という人が、60年程前に栽培して売り出したとされているけど、あの二十世紀は、もとは八幡の稲荷神社の境内に自然に生えた梨なのですよ。松戸の覚之助のお父さんがね、何といったか名前は忘れたが、その人がある年、八幡様の農具市にやってきた時、八幡の親戚の家に遊びに立ち寄った。当時、今の市役所の近くに稲荷神社があってね、その境内に色のかわった梨がなっていた。これを見たその人がね、「これは面白い梨だ」とそのなしの“ボ”をもって帰って、自分の家の梨の木についでみた。そうすると何とウマイ梨が出来てね。息子の覚之助さんの代になってから「二十世紀」という名前を付けて売り出したところ、これが大当たりー略―」(P50)

以上ですがなかなか興味深いです。

現在、二十世紀梨はこの辺ではあまり見かけませんが、九十九里海岸の辺りでは栽培されています。
西日本で栽培が盛んらしく、生産額が一番多いのは鳥取県です。

千葉県内でよく見かけるのは、幸水,豊水などの皮の赤い品種です。
千葉県は栽培面積・収穫量・産出額ともに全国第1位になっています。 

地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)から使用させていただきました。

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